日本体育・スポーツ・健康学会第73回大会

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体育史/口頭発表⑤

2023年9月1日(金) 15:30 〜 16:10 RY202 (良心館2階RY202番教室)

座長:藤坂 由美子(東京女子体育大学)

15:30 〜 16:10

[01史-口-05] 日本女子剣道史の再考察

薙刀(剣道)からしない競技、そして剣道へ

*矢野 裕介1 (1. 愛知淑徳大学)

日本の女子剣道史に焦点化した従前の研究によれば、戦前の「女性の武道といえば『なぎなた』が主流であり、女性剣士は、剣道に関係のある特殊な環境におかれたごく限られた女性のみであった」(大塚真由美、2009)がために、女子の剣道の道が拓かれたのは、戦後の剣道の母体となり、女子をも対象としていたスポーツとしての剣道、すなわち「しない競技」の登場(=1952年の第7回国民体育大会)を待たなければならなかったという(新里知佳野・矢野裕介ほか、2013)。
しかし、戦前日本において女子の武道として展開されていたのは、現在のような「なぎなた対なぎなた」で行う「なぎなた」ではなく、「薙刀対太刀」で行われる「薙刀」である。この視点に着目し、戦前の薙刀教育における太刀の教材内容を分析した矢野裕介(2015)によれば、そこでは「太刀として必要となる操法を劔道に準じて授け、是を練習する」(美田村邦彦、1939)といったように、確かに剣道が教授されており、ここで培われた剣道の技術をもって、戦後女子はしない競技に対応することができたのではないか、と指摘している。
このように俯瞰すると、日本における女子剣道は、薙刀(剣道)からしない競技、そして剣道へと繋がっていったといえそうであるが、本研究では、新たな関連史料も加えてその過程を再考察した結果、女子しない競技の誕生は1950年9月の京都しない競技連盟創立紀念大会に求められ、そこには榊田八重子らの薙刀熟練者や女優の宮城千賀子が出場しており、前者においては「なぎ刀も剣道同様禁止されていたので、…中略…〔しない競技は―引用者注〕打ってつけのスポーツ」として奨励・実践されていたこと、後者においては「しない競技は女子に親しまれ易いスポーツであることを広くPR出来る」ことを狙っての出演であったことなど(高岡謙次、1966)、その結論にもつながる新知見を見出すことができた。