日本地震学会2019年度秋季大会

講演情報

D会場

一般セッション » S10. 活断層・歴史地震

[S10]AM-1

2019年9月18日(水) 09:15 〜 10:30 D会場 (時計台国際交流ホールI)

座長:今井 健太郎(国立研究開発法人海洋研究開発機構)、平井 敬(名古屋大学大学院環境学研究科)

09:45 〜 10:00

[S10-03] 安政元年(1854年)東海地震の波源再考

*今井 健太郎1、堀 高峰1、高橋 成実1,2、大林 涼子1、楠本 聡1、古村 孝志3 (1. 国立研究開発法人海洋研究開発機構、2. 国立研究開発法人防災科学技術研究所、3. 東京大学地震研究所)

1研究の目的  南海トラフではM8クラスの巨大地震が90~150年程度の間隔で繰り返し発生し,地震動や津波による大きな被害をもたらしてきた.1707年宝永地震の際には強震動による震害と巨大津波が南海トラフ沿岸に来襲した.強震動と巨大津波による被害は,1854年に発生した安政東海・南海地震,1944年昭和東南海地震,1946年昭和東海地震においても南海トラフの沿岸部で繰り返し起きている.これらの南海トラフ巨大地震の周期性として,これまでは一定のプレート運動速度に基づき,固有の地震断層面における再来発生間隔が受け入れられてきた(例えば,石橋・佐竹, 1998).一方,瀬野(2012)は,安政東海地震と昭和東南海地震の強震動生成領域が相補的であった可能性を指摘し,昭和東南海地震が安政東海地震の一部で起きたという従来の考えに疑問を呈している.津波波源域についても同様の観点から再解釈が必要である.安政東海地震の波源モデルについては既往研究(Ando,1975; Ishibashi, 1981; 相田, 1981; 安中・他, 2003)で検討されているが,いずれも1~2枚の矩形断層モデルであり,昭和東南海地震の波源域との相補関係を比較できる分解能ではない.本研究では,安政東海地震の震源域に近い紀伊半島から伊豆半島に至る太平洋沿岸における津波痕跡分布を説明するための波源について再検討を行い,昭和東南海地震の波源域との関係性について議論する.

2研究内容  本地震による津波痕跡高は既往研究(羽鳥,1977;都司・他,1991,行谷・都司,2005;都司・他,2013;都司・齋藤,2014;今井・他,2017)と,史料集の再精査によって得られた史料とそれに基づいた津波痕跡高(今井・他,2019)を用いた.これらによる安政東海地震津波の津波痕跡高さ分布には2つのピークがあり,志摩半島東端の国崎で22 mに達していた.もう一つのピークは伊豆半島南東の入間で,津波痕跡高さが15mを超えていた. 

波源断層モデルは安中・他(2003)の2枚の矩形断層で構成されるモデルを基に,東海震源域では走向方向に3分割,傾斜方向に2分割,東南海震源域では走向方向に5分割,傾斜方向に2分割の小断層を設定した.各小断層による津波のグリーン関数は線形長波理論(空間格子間隔150 m,時間間隔0.2 s)で計算し,津波高分布を説明するための断層のすべり量分布はSA(Kirkpatrick et al., 1983)を用いて推定した.津波痕跡高には,誤差に基づくバラツキを一様乱数で考慮し,10,000回の試行から各小断層のすべり量を評価した.

3主な結論  本研究で得られた波源断層のすべり量分布(図1)の特徴として,御前崎沖,遠州灘沿岸および志摩半島沖では10 mにおよぶ大きな断層すべりとなった.一方,志摩半島沿岸ではほとんどすべりが生じていない領域が存在することがわかった.昭和東南海地震の波源モデル(例えば,Baba et al., 2005)では志摩半島沿岸では大きな断層すべりが生じていたことを照らし合わせると,津波励起領域の一部においては相補関係が示唆される.
謝辞 本研究はJSPS科研費(16H03146),H25-R1年度文部科学省「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」(研究代表者:海洋研究開発機構 金田義行)の一環として行われました.