5:00 PM - 6:30 PM
[S17P-08] Human damage in Yamada town, Iwate prefecture, due to the 1896 Meiji Sanriku earthquake tsunami
§1. はじめに
1896年明治三陸地震津波による三陸海岸沿岸の被害の記録は山奈宗真による調査記録が代表的である.しかしながら,調査日数に対する情報量の多さの観点から,今後の精査の後,取捨選択が必要であるとされている(首藤・越村, 2005).
一方,岩手県山田町立図書館所蔵の『山田警察分署所轄海嘯記事』(以下,海嘯記事と呼ぶ)には同津波による山田町内の被害の様子が津波前の人口数も含めて記録されている.海嘯記事には具体的な被害分布が記されていることや,浅利氏をはじめとする警察分署職員が実際に現場で救助活動に携わったこととが記録されていることから,海嘯記事の信憑性は高いと思われる.
本研究ではこの資料に基づき,死亡率と推定される浸水深との関係を検討したので報告する.
§2. 海嘯記事に記された海嘯前人口と死者数
海嘯記事の構成は当時の山田警察分署の巡査部長である浅利和三郎氏による手記と被害明細図からなる.被害明細図には,山田町内の大澤,船越,大浦,田の浜,織笠および飯岡の各集落における詳細な流失家屋分布や全壊家屋分布などが記された上,各集落の海嘯前人口や死者数などが整理されている.具体的には,大澤:(海嘯前人口:1,196名,死者数:415名,以下同),船越:(622名,208名),大浦:(205名,33名),田の浜:(1,108名*,483名),織笠:(1,900名,72名),および飯岡:(3,746名,828名)と記録されている(*は「死亡人口」と「負傷」,および「現存者」の合計を記した.).
なお,前述の山奈による死者数(例えば,宇佐美・他, 2013)は海嘯記事の死者数と異なっている.具体的には,大澤:(海嘯前人口:1,197名,死者数:415名,以下同),船越:(749名,208名),大浦:(455名,34名),田の浜:(1,128名,562名),織笠:(1,902名,72名),および飯岡(山田):(4,413名,828名)である.
§3. 浸水深の推定
一般的に,家屋の被害は海面上の高さである浸水高や遡上高よりも,地盤からの高さである浸水深が直接的に関与していると考えられる.
まず,伊木(1986)により明治三陸地震津波の津波の高さ(海面上)が報告されている.各集落の平均地盤高を計算し,伊木による津波の高さから差し引くことで浸水深を推定した.
平均地盤高の算出には,まず,各集落で津波が来襲したさい,津波の海面上の高さは各集落内では平坦であると仮定した.つまり,各集落で得られた伊木による海面上の津波の高さは,その集落内ではどこでも同じ高さであると仮定した.次に,各集落内のその津波の高さよりも低い地盤標高について,その平均と標準偏差を計算した.例えば,大澤の場合,伊木による津波の高さは4 mとなっているので,この集落の4 m以下の地盤について平均標高を算出すると2.1 m(標準偏差0.8 m)となり,浸水深を1.9 mと推定した.このような手順により各集落の浸水深を推定した.
§4. 被害と浸水深との関係
各集落で得られた死亡率と浸水深との関係をみると,基本的には浸水深が2 m-3 mを境にして死亡率が0.0程度から0.3程度に急激に上昇する結果となった.もっとも死亡率が高かったのは田の浜集落の0.44であり,推定される浸水深は4.9 mであった.
一方,海嘯記事には前述の通り海嘯前の家屋数と流失戸数も記録されている.田の浜の例で言えば海嘯前の戸数は238軒であったのに対し,流失戸数229軒となり流失率(流失戸数/海嘯前戸数)は0.96である.要するに,田の浜ではほとんどの家屋が流失したが,約6割の人々は生き残った.津波が来襲したのは午後8時付近であり,起きている人が恐らく多かったため,異変に気づいて早く逃げられた人が助かったものと思われる.
謝辞
各集落の平均標高の算出については国土地理院の基盤地図情報(数値標高モデル)を利用致しました.本研究の一部は科学研究費助成事業(科学研究費補助金)課題番号:16H03146(研究代表者:今井健太郎)を利用致しました.記して感謝致します.
1896年明治三陸地震津波による三陸海岸沿岸の被害の記録は山奈宗真による調査記録が代表的である.しかしながら,調査日数に対する情報量の多さの観点から,今後の精査の後,取捨選択が必要であるとされている(首藤・越村, 2005).
一方,岩手県山田町立図書館所蔵の『山田警察分署所轄海嘯記事』(以下,海嘯記事と呼ぶ)には同津波による山田町内の被害の様子が津波前の人口数も含めて記録されている.海嘯記事には具体的な被害分布が記されていることや,浅利氏をはじめとする警察分署職員が実際に現場で救助活動に携わったこととが記録されていることから,海嘯記事の信憑性は高いと思われる.
本研究ではこの資料に基づき,死亡率と推定される浸水深との関係を検討したので報告する.
§2. 海嘯記事に記された海嘯前人口と死者数
海嘯記事の構成は当時の山田警察分署の巡査部長である浅利和三郎氏による手記と被害明細図からなる.被害明細図には,山田町内の大澤,船越,大浦,田の浜,織笠および飯岡の各集落における詳細な流失家屋分布や全壊家屋分布などが記された上,各集落の海嘯前人口や死者数などが整理されている.具体的には,大澤:(海嘯前人口:1,196名,死者数:415名,以下同),船越:(622名,208名),大浦:(205名,33名),田の浜:(1,108名*,483名),織笠:(1,900名,72名),および飯岡:(3,746名,828名)と記録されている(*は「死亡人口」と「負傷」,および「現存者」の合計を記した.).
なお,前述の山奈による死者数(例えば,宇佐美・他, 2013)は海嘯記事の死者数と異なっている.具体的には,大澤:(海嘯前人口:1,197名,死者数:415名,以下同),船越:(749名,208名),大浦:(455名,34名),田の浜:(1,128名,562名),織笠:(1,902名,72名),および飯岡(山田):(4,413名,828名)である.
§3. 浸水深の推定
一般的に,家屋の被害は海面上の高さである浸水高や遡上高よりも,地盤からの高さである浸水深が直接的に関与していると考えられる.
まず,伊木(1986)により明治三陸地震津波の津波の高さ(海面上)が報告されている.各集落の平均地盤高を計算し,伊木による津波の高さから差し引くことで浸水深を推定した.
平均地盤高の算出には,まず,各集落で津波が来襲したさい,津波の海面上の高さは各集落内では平坦であると仮定した.つまり,各集落で得られた伊木による海面上の津波の高さは,その集落内ではどこでも同じ高さであると仮定した.次に,各集落内のその津波の高さよりも低い地盤標高について,その平均と標準偏差を計算した.例えば,大澤の場合,伊木による津波の高さは4 mとなっているので,この集落の4 m以下の地盤について平均標高を算出すると2.1 m(標準偏差0.8 m)となり,浸水深を1.9 mと推定した.このような手順により各集落の浸水深を推定した.
§4. 被害と浸水深との関係
各集落で得られた死亡率と浸水深との関係をみると,基本的には浸水深が2 m-3 mを境にして死亡率が0.0程度から0.3程度に急激に上昇する結果となった.もっとも死亡率が高かったのは田の浜集落の0.44であり,推定される浸水深は4.9 mであった.
一方,海嘯記事には前述の通り海嘯前の家屋数と流失戸数も記録されている.田の浜の例で言えば海嘯前の戸数は238軒であったのに対し,流失戸数229軒となり流失率(流失戸数/海嘯前戸数)は0.96である.要するに,田の浜ではほとんどの家屋が流失したが,約6割の人々は生き残った.津波が来襲したのは午後8時付近であり,起きている人が恐らく多かったため,異変に気づいて早く逃げられた人が助かったものと思われる.
謝辞
各集落の平均標高の算出については国土地理院の基盤地図情報(数値標高モデル)を利用致しました.本研究の一部は科学研究費助成事業(科学研究費補助金)課題番号:16H03146(研究代表者:今井健太郎)を利用致しました.記して感謝致します.