日本地震学会2020年度秋季大会

Presentation information

Room C

Regular session » S10. Active faults and historical earthquakes

[S10]PM-1

Fri. Oct 30, 2020 1:00 PM - 2:15 PM ROOM C

chairperson:Juichiro Ashi(東京大学), chairperson:Haruo Kimura(電力中央研究所)

1:00 PM - 1:15 PM

[S10-04] Organization and analysis of the aftershocks of Ansei Edo earthquake recorded in various historical documents

〇Baba Michito1 (1.University of Tokyo, Earthquake Research Institute)

安政江戸地震は西暦1855年11月11日の午後10時ごろに発生した地震で,江戸市中で地震動による家屋の倒壊や火災を引き起こした他,関東一円にも大きな被害をもたらした.
安政江戸地震の本震や被災状況の分析は多くの研究で行われている一方で,安政江戸地震の余震活動についての研究は多くない.本研究では,様々な江戸で記録された史料中の余震記録を整理するとともに、それらの史料と江戸近郊で特に詳細な余震記録を含む『海老原家文書』(千葉)を比較することで安政江戸地震の余震活動の分析を試みた.
 安政江戸地震の余震活動は様々な史料で記録されており,例えば余震の発生時間や揺れの程度を詳細に記録した『破窓の記』(江戸)や揺れの程度について特に詳細な『なゐの日並』(江戸)などがある.他にも,余震記録を含む資料のうち江戸から離れた地点で記録されたものには『俊純日記』(群馬)や『豊田家日記』(千葉),『飛騨地震年表』(岐阜),『海老原家文書』(千葉)などがある.
 『海老原家文書』は千葉県史料財団が『千葉県史』の編さん事業の一環として平成11年(1999)年から平成15年(2003)年12月までの4年5ヶ月にわたり本埜村(現印西市)の海老原文彦家を調査した際に発見された史料の一つで,『安政地震書留之事』として,竜腹寺村(印西市)の海老原善兵衛によって安政江戸地震による被害や余震が記録されている.石瀬他(2019)では『海老原家文書』や『成田村組合村々潰家破損書上帳』などを用いて,安政江戸地震の際の成田市や佐倉市における震度を再決定した.
 本研究では上記の史料に加えて,『なゐの後見艸』(江戸),『斉藤月岑日記』(江戸),『山口直毅日記』(江戸),『安政二年乙卯珍話』(江戸),『大沼氏記録』(長野),『中村仲蔵記録』(江戸),『巷街贅説』(江戸),『日記抄』(江戸),『村垣淡路守範政公務日記』(江戸),『別本藤岡屋日記』(江戸),『安政乙卯地震紀聞』(江戸),『大地震大風見聞記』(江戸),『自身の噂』(江戸),『津軽藩御日記』(江戸)なども用いた.
 余震について特に詳細に記録された史料のうち,『破窓の記』では丸の大きさ,丸の下に記録された時間で,それぞれ揺れの大きさと発生時を記録している.『海老原家文書』では基本的に「何月何日、昼(または夜)何時に(揺れの大きさ)が何回あった」という形式で余震を記録している.『破窓の記』と『海老原家文書』に記録されている余震記録を1日ごとにプロットすると以下の事が分かった.
まず,安政元年十月から十一月の間に『海老原家文書』にはおよそ140回,『破窓の記』には97回の揺れを記録しているが,安政元年十月二日から十日までの期間で,2つの史料中の余震の記録の数には大きな差があった,また.十月十日以降の揺れの記録数は両史料ともによく一致している.
 本研究では,余震活動を評価する方法の一つとして存在する大森・宇津公式(Ustu 1957)を用いた.海老原家文書の余震記録のうち,本震発生直後から十一月末日までの期間で大森・宇津公式をフィッティングしたところ図のようになり,フィッティングした曲線は『破窓の記』で記録された余震記録と本震から3日目以降でよく一致した.このことから,十月二日から五日の間で江戸の史料で見落とされた余震が,『海老原家文書』で記録されている可能性があると考えられる.
 『海老原家文書』や『豊田家日記』などの江戸から離れた地域の史料と江戸で記録された史料中の余震記録を比較した.その結果,印西市では,中村(2011)で最大余震とされた十月六日の地震による揺れは大きくなかった可能性がある.また,中村(2011)では十月十二日の余震も最大余震に準ずる揺れとされていたが,『海老原家文書』を記録した地域では大きな揺れを記録していない.他にも,十月七日,十二日,十七日,二十二日,二十五日,十一月一日,の地震が複数の史料で記録されいた.
 異なる史料に同一の時間で揺れが記録されていても,異なる地震を記録している可能性がある一方で,余震について詳細に記録した史料を複数比較することで,歴史地震の余震についても震央をより詳しく推定できるかもしれない.
 本研究において熱心なご指導をいただいた神戸大学の杉岡裕子教授と『海老原家文書』を紹介していただいた地震研究所の石瀬素子氏に感謝の意を表します.