日本地震学会2020年度秋季大会

Presentation information

Poster session (Oct. 30th)

Regular session » S10. Active faults and historical earthquakes

S10P

Fri. Oct 30, 2020 4:00 PM - 5:30 PM ROOM P

4:00 PM - 5:30 PM

[S10P-04] The November 4th, 1856 earthquake probably did not cause serious damage in the Tokorozawa and Kumegawa

〇Tomoya Harada1 (1.None)

安政三年十月七日(1856年11月4日)に発生した地震(1856年地震)の被害ついて,『日本被害地震総覧』(宇佐美・他,2013;以下,『総覧』)では「久米川(東京都)で家屋倒壊15」と記載されている.これは,旧版『所沢市史』(所沢市史編纂委員会編,1957)の付録年表の出来事「安政丙辰 三年 大地震所沢ニモ大被害アリ久米川倒壊家屋十九家所沢ニテ挙金見舞ス(家蔵)」に基づいている.よって,『総覧』の倒壊家屋数は誤りで,所沢でも大被害があったことが分かる.文科省・地震研(2015)によれば,この出来事の典拠は不明で,新版『所沢市史』(所沢市史編さん委員会,1991,1992)には1856年地震の記述はない.さらに,近隣自治体の自治体史にも所沢・久米川の被害についての記載がない.家屋倒壊があった久米川村(現東村山市,図)が被害の中心と思われるが,北に約2km離れた所沢でも大被害が生じたので,久米川,所沢付近を中心とする半径数kmの範囲で大小の被害が生じたと考えられる.そこで,本研究では,1856年地震による久米川・所沢の被害,あるいは史料が記述された地域の被害が同時代史料に記録されているのか調べた.

 「指田日記」は,中藤村(現武蔵村山市,図)の指田摂津正藤詮による日記であるが,十月七日に「五ッ半時地震、夜風」とあるのみで,被害記述はない.さらに,十月十八日に「所沢に行く」とあるが,所沢の被害記述はない.「公私日記」は,所沢・久米川よりやや離れた柴崎村(現立川市,図)の名主鈴木平九郎による日記であるが,十月八日に「昨七日朝五ッ時頃地震天水桶を震りこほし(中略)御府内ハ此辺ゟ強よし也」とある.立川よりも江戸の揺れが強かったという記述は注目されるが,所沢・久米川の被害記述はない.蔵敷村(現武蔵村山市,図)内野家の「里正日誌」,後ヶ谷村(現東大和市,図)杉本家の「御用日記」についても,1856年地震に関する記述は一切ない.

 また,所沢市,東村山市,小平市の収蔵史料目録(所沢市史調査資料(所沢市史編さん室,1975〜1997),東村山市史調査資料第(東村山市史編さん室,1993〜2005),小平市古文書目録(小平市中央図書館,1979〜2015))を調べたところ,安政二年江戸地震(1855年地震),安政三年台風(1856年台風)に関する史料は存在するが,1856年地震に関する史料は発見できなかった.久米川村に接する廻り田村,小川村の「御用留」を調べたところ,1855年地震,1856年台風に関する廻状や触書,1856年台風の被害書き上げは記載されているが,1856年地震に関する記載はなかった.

 「本宅普請建上屋根造作覚帳」は,所沢と久米川の中間付近(所沢より南西に約1km)にある平塚家旧宅(現所沢郷土美術館,図)の普請に関する嘉永六年(1853年)から約6年間に及ぶ諸出費の覚書であるが,1855年地震,1856年台風による被害は詳しく記述されており,その被害の補修費用も記載されている(平塚,1984).安政三年十月二十一日には,久米川の瓦屋への1856年台風で破損した棟瓦26枚分の支払いが記載されている.しかしながら,1856年地震による被害記述はない(平塚,1984).
 全ての同時代史料について調査できていないが,1856年地震による所沢・久米川やその周辺の被害記述は一切発見できていない.渡邊(2010,2013)によれば,江戸時代の武蔵国では定期市が広範に展開して市場網が形成されており,多摩地域の多くの村々が所沢を最寄りの定期市として利用していた.したがって,所沢における地震被害の情報が各村の名主等に伝わっていないとは考え難く,むしろ,同時代史料は,1856年地震による所沢・久米川の被害がなかったことを積極的に支持する.そこで,旧版『所沢市史』の付録年表に立ち返って確認したところ,1856年地震に関して,付録年表には大きな不備があることが分かった.まず,付録年表には,所沢に対して多少なりとも被害を与えた1855年地震,1856年台風が記載されていない.さらに,付録年表の他の出来事には日付が記載されているが,1856年地震には日付がない.一般に,日付のない出来事の信憑性は低い.なぜなら,日付の情報がない信頼性の低い典拠に基づいているからである.したがって,付録年表の1856年地震は,編集者の誤りか信頼性の低い典拠に基づいていると考えられ,同時代史料にも一切記述がない1856年地震による所沢・久米川の被害はなかったと考えられる.江戸・神奈川の小被害や震度分布から,1856年地震は,2005年7月23日千葉県北西部地震(M6.0)と同様の地震である可能性,すなわち,1855年地震の最大クラスの余震である可能性がある.