日本地震学会2022年度秋季大会

講演情報

D会場

一般セッション » S10. 活断層・歴史地震

[S10] PM-2

2022年10月26日(水) 15:00 〜 16:15 D会場 (5階(520研修室))

座長:松浦 律子(公益財団法人地震予知総合研究振興会)、大邑 潤三(東京大学地震研究所 地震予知研究センター)

15:45 〜 16:00

[S10-09] 887年8月仁和地震は南海トラフではなく大阪湾断層の最新活動ではないか?

藤野 滋弘1、*松浦 律子2 (1. 筑波大学、2. 公益財団法人地震予知総合研究振興会)

昭和南海地震の発生以降は,長らく今村明恒の説が暗黙の常識とされ,684年白鳳(年号的には天武)・887年仁和・1099年康和・1361年正平・1498年明応・1605年慶長・1707年宝永・1854年安政・1946年昭和,と南海トラフのプレート間巨大地震は固有地震の繰返が歴史史料からも明白な典型例,と扱われてきた.しかし,情報が多くなる明応以降に関して近年例えば 明応東海地震:東海地震のみ既知,とされてきたが,別説に銭洲海嶺付近のPHSプレート内地震の可能性 慶長南海地震:津波地震で南海トラフよりもっと遠方の地震の可能性,がそれぞれ提起され,二つとも南海トラフのプレート境界地震とは異なる特徴が指摘されている.さらに近世以降では,宝永は東海・南海部分が一度に破壊したが,安政では30時間遅れで,昭和では2年遅れて東海と南海とに分かれて発生している.この最近3回を眺めると,一つ前の地震との間隔が短い程,発生した地震規模が小さい=「サイズプレディクタブル」な特徴が際立つ.要するに情報が増えてくる15世紀以降は,毎回個性的で「固有規模の地震の繰返」と単純化できない.それ以前の康和や正平は史料情報が豊富ではないが,古代の白鳳と仁和に関しては,これまで誰も南海トラフの巨大地震とする説に対して異論を示してこなかった. しかし近年,西南日本太平洋沿岸部の津波堆積物調査事例が多くなると,白鳳に対応する堆積物は発見されるが,仁和に対応するものが検出できない事例が蓄積されつつある.仁和南海地震は南海トラフ巨大地震とされてきた割には変ではなかろうか?一方,大阪湾断層の最新活動時期は9世紀以降(e.g. 七山ほか,2000)とされており,既知の史料情報を通観すると,京都の震度が大きく,津波の最大被害地は摂津,とされる仁和地震は,最右翼候補たりえる.勿論史料地震学的には「暗黒の中世」に未知の大地震が大阪湾と雖も存在した可能性は残る. そこで,今回は,改めて南海地震とされている仁和地震の史料や発生当時の摂津や京都の状況を検討してみた.その結果,1)京都の震度は,ご神体として人目に晒してはならない天皇が,紫宸殿前の広庭に急いで避難してしまったこと,京都市中の被害家屋が少なくないこと,から近世の南海地震時の京都の揺れ方よりは大きく怖かった可能性が高いこと,2)「日本三代実録」は古代正史の中で内容が充実しているにも関わらず,湯峯温泉や道後温泉の湧出停止,高知平野の沈降,四国・紀伊半島での津波,など「南海トラフのプレート間巨大地震」の証拠になる事象が仁和に関しては全く朝廷に伝わっていない,ことが確認できた. 仁和地震は菅原道真の出世途上の時期に発生している.地震時彼は讃岐守として讃岐に居た.坂出に居ても,京都の方ばかり向いていた可能性もあるが,後年「類聚国史」を主導し,「日本三代実録」の内容が充実しているのも,道真の人並み外れた能力の高さに依る所大と考えられることから,四国の珍しい事象を,おめおめと見過ごして「日本三代実録」に記録しなかった,とは考え難く,南海トラフの典型的な事象は仁和三年旧暦七月三十日の地震には付随しなかった可能性の方が高い.近世の宝永や安政南海で大阪市の津波被害が甚大となったのは,近世初頭に水運のための整備されていた堀川に千石船が津波で運ばれたためで,古代の摂津では決して生じ得ない被害である.宝永地震時「摂津」の範囲(現在の神戸~大阪市北西部のみ)で津波波高によって被害を受けた低地利用域は,当時海岸域だった新興埋立地で逃げ場がなかった西成などに限られる.中世に石山寺が開闢する以前の古代の大阪は,現在とは地形が全く異なる.今の住吉から神戸にかけての「摂津」の海岸沿いで南海トラフの地震で津波の甚大被害を受けただろうか? このような時代状況を踏まえて,日本三代実録の記述内容を素直に読んだ時,現在南海トラフの巨大地震とされている,仁和三年七月三十日の五畿七道の地震は,実は大阪湾断層の活動であり,大阪湾岸の真正面で発生した海底活断層の地震によって,摂津の津波は甚大,京都も震度が大きかった,と考えても十分史料情報と整合する.その場合,南海トラフの地震は発生していたとしても,全く別の日付で京都では注目されなかった,ことになる. そもそも百年に一度,と信じられている割には,古代でも漸く二百年に一度しか当てこめなかった南海トラフの巨大地震に関しては,植え付けられた固定観念に囚われること無く,史料や堆積物など証拠に基づいて判って居る範囲内で活動間隔そのものから根拠に基づいて再構築することが大切なのではないだろうか.
本研究は文部科学省からの委託事業である「地震調査研究推進本部の評価等支援事業」の一部として実施した.