10:30 〜 10:45
[S22-04] 考古資料からみた千島海溝周辺地域の地盤液状化履歴
【はじめに】
千島海溝周辺では,今後30年間以内においてM8.8以上の巨大地震の発生確率が7~40%と,地震に伴う強震動および津波リスクが極めて高い状態にある(地震調査研究推進本部,2017).この地域の津波履歴については,たとえばSawai et al.(2009)をはじめ北海道太平洋岸で行われてきた多くの津波堆積物研究の調査により,過去6000年間程度の履歴が明らかにされている.一方で強震動の履歴については,文献記録により過去1000~1500年間にわたり履歴を検証可能な本州とは異なり,文献記録の乏しい北海道では19世紀以前の履歴は不明な点が多い.
強震動履歴に関する研究手法としては,文献調査の他に考古遺跡における地割れや噴砂(地盤液状化)などの地盤変状発生履歴によるものがある.北海道においても伏島・平川(1996)・羽坂ほか(1997),廣瀬ほか(1999)などによる先駆的な研究が石狩低地帯中~南部の先史地震についてとりまとめを行い,1834年石狩地震の他に後期縄文~擦文期にかけての噴砂や地盤亀裂が認識されている.一方,千島海溝に隣接する北海道東部~中南部にかけては地震学の見地に立った検討はこれまで行われていない. 我々は現在,北海道全域を対象とした膨大な考古資料(調査報告書・写真およびスケッチ等)の再検証を進めている.ここでは千島海溝に隣接した北海道東部~中南部にかけての調査結果について概要を報告する.
【根室半島】
根室市の南西部,温根沼に隣接する縄文早期~擦文期(トビニタイ期)の遺跡(温根沼2遺跡)では,基盤岩(上部白亜系~古第三系根室層群)を覆う海成段丘に形成された遺跡において噴砂跡が認められた.段丘面から段丘崖へと移行する箇所にある標高8~16mの緩斜面において,おおむね東北東―西南西走向で延長約80mの正断層変位を有する亀裂を充填する噴砂である.段丘堆積物を構成するMIS5e期の海成砂が液状化したものと推定される.
【根釧台地】
伊茶仁カリカリウス竪穴群遺跡をはじめとする,低位段丘~沖積低地にかけての遺跡群で噴砂痕跡が多く認められた.低位段丘における噴砂はしばしば垂直変位量数cm程度の正断層変位を有する等高線に沿った亀裂に伴って認められる.噴砂脈は分岐や屈曲,側方への貫入など不規則な形態をとることが多い.これらから,強震動による地盤の液状化と段丘堆積物の斜面変動が同時に発生し,形成された開口亀裂中を噴砂が上昇,未固結な段丘堆積物中に貫入(一部は地表に噴出)したと推定される.
【十勝~日高地域】
この地域では,明瞭な噴砂脈は認められなかった.猿別C遺跡ではTa-cテフラを切る小規模な地すべりイベントが認められるが,地震(強震動)との関係は不明である.
【石狩低地~苫小牧地域】
この地域では先行研究で認識されていた噴砂イベントに相当する後期縄文~擦文期,1834年石狩地震に対応する噴砂イベントが多数認められた.札幌周辺と恵庭~千歳地域の沖積低地~低位段丘縁辺の遺跡に集中して確認される.
【噴砂形成イベントの時期】
摩周火山や樽前火山・北海道駒ヶ岳などから更新世末~完新世に噴出した広域テフラとの関係から,北海道東部~中南部における噴砂イベントの発生時期について整理した.これらはテフラ層との切り合い関係から推定したものである.十分な数の噴砂が観察できていない場合,明らかに地表噴出した噴砂を除き,噴砂が切ったテフラよりは新しい,ということを示すものであることに留意が必要である.
根室半島~根釧台地では,(約12000年前),約5500~4500年前,約4000~3000年前,約2500年前,1000~500年前,西暦1739年以降と,多岐にわたる時期に噴砂イベントが発生した可能性が指摘できる.一方,隣接する十勝~日高地域では,明瞭な噴砂イベントは見いだされないことから,これらの噴砂イベントは根室半島~根釧台地にかけて強震動をもたらした強震動イベントに関連するとみなしてよいだろう.
石狩低地~苫小牧地域では,1834年石狩地震に相当するイベント(Ta-aテフラを切る)がH37遺跡など札幌市北部~石狩川下流に集中,擦文文化期(11世紀以降)~アイヌ期(Ta-aテフラ以前),続縄文~擦文文化期のイベントは札幌周辺~石狩低地南部まで広く認められる.続縄文~擦文文化期については根室~根釧台地では該当するイベントがないこと,近接する石狩低地東縁断層帯の最新活動から一つ前の活動期(約2400年前~8世紀以前)と重なることから,石狩低地断層帯の地震活動による可能性も含めた検討が必要である.
【謝辞】
本研究にあたっては,各自治体の教育委員会および学芸員の方々にご協力いただきました.感謝いたします.
千島海溝周辺では,今後30年間以内においてM8.8以上の巨大地震の発生確率が7~40%と,地震に伴う強震動および津波リスクが極めて高い状態にある(地震調査研究推進本部,2017).この地域の津波履歴については,たとえばSawai et al.(2009)をはじめ北海道太平洋岸で行われてきた多くの津波堆積物研究の調査により,過去6000年間程度の履歴が明らかにされている.一方で強震動の履歴については,文献記録により過去1000~1500年間にわたり履歴を検証可能な本州とは異なり,文献記録の乏しい北海道では19世紀以前の履歴は不明な点が多い.
強震動履歴に関する研究手法としては,文献調査の他に考古遺跡における地割れや噴砂(地盤液状化)などの地盤変状発生履歴によるものがある.北海道においても伏島・平川(1996)・羽坂ほか(1997),廣瀬ほか(1999)などによる先駆的な研究が石狩低地帯中~南部の先史地震についてとりまとめを行い,1834年石狩地震の他に後期縄文~擦文期にかけての噴砂や地盤亀裂が認識されている.一方,千島海溝に隣接する北海道東部~中南部にかけては地震学の見地に立った検討はこれまで行われていない. 我々は現在,北海道全域を対象とした膨大な考古資料(調査報告書・写真およびスケッチ等)の再検証を進めている.ここでは千島海溝に隣接した北海道東部~中南部にかけての調査結果について概要を報告する.
【根室半島】
根室市の南西部,温根沼に隣接する縄文早期~擦文期(トビニタイ期)の遺跡(温根沼2遺跡)では,基盤岩(上部白亜系~古第三系根室層群)を覆う海成段丘に形成された遺跡において噴砂跡が認められた.段丘面から段丘崖へと移行する箇所にある標高8~16mの緩斜面において,おおむね東北東―西南西走向で延長約80mの正断層変位を有する亀裂を充填する噴砂である.段丘堆積物を構成するMIS5e期の海成砂が液状化したものと推定される.
【根釧台地】
伊茶仁カリカリウス竪穴群遺跡をはじめとする,低位段丘~沖積低地にかけての遺跡群で噴砂痕跡が多く認められた.低位段丘における噴砂はしばしば垂直変位量数cm程度の正断層変位を有する等高線に沿った亀裂に伴って認められる.噴砂脈は分岐や屈曲,側方への貫入など不規則な形態をとることが多い.これらから,強震動による地盤の液状化と段丘堆積物の斜面変動が同時に発生し,形成された開口亀裂中を噴砂が上昇,未固結な段丘堆積物中に貫入(一部は地表に噴出)したと推定される.
【十勝~日高地域】
この地域では,明瞭な噴砂脈は認められなかった.猿別C遺跡ではTa-cテフラを切る小規模な地すべりイベントが認められるが,地震(強震動)との関係は不明である.
【石狩低地~苫小牧地域】
この地域では先行研究で認識されていた噴砂イベントに相当する後期縄文~擦文期,1834年石狩地震に対応する噴砂イベントが多数認められた.札幌周辺と恵庭~千歳地域の沖積低地~低位段丘縁辺の遺跡に集中して確認される.
【噴砂形成イベントの時期】
摩周火山や樽前火山・北海道駒ヶ岳などから更新世末~完新世に噴出した広域テフラとの関係から,北海道東部~中南部における噴砂イベントの発生時期について整理した.これらはテフラ層との切り合い関係から推定したものである.十分な数の噴砂が観察できていない場合,明らかに地表噴出した噴砂を除き,噴砂が切ったテフラよりは新しい,ということを示すものであることに留意が必要である.
根室半島~根釧台地では,(約12000年前),約5500~4500年前,約4000~3000年前,約2500年前,1000~500年前,西暦1739年以降と,多岐にわたる時期に噴砂イベントが発生した可能性が指摘できる.一方,隣接する十勝~日高地域では,明瞭な噴砂イベントは見いだされないことから,これらの噴砂イベントは根室半島~根釧台地にかけて強震動をもたらした強震動イベントに関連するとみなしてよいだろう.
石狩低地~苫小牧地域では,1834年石狩地震に相当するイベント(Ta-aテフラを切る)がH37遺跡など札幌市北部~石狩川下流に集中,擦文文化期(11世紀以降)~アイヌ期(Ta-aテフラ以前),続縄文~擦文文化期のイベントは札幌周辺~石狩低地南部まで広く認められる.続縄文~擦文文化期については根室~根釧台地では該当するイベントがないこと,近接する石狩低地東縁断層帯の最新活動から一つ前の活動期(約2400年前~8世紀以前)と重なることから,石狩低地断層帯の地震活動による可能性も含めた検討が必要である.
【謝辞】
本研究にあたっては,各自治体の教育委員会および学芸員の方々にご協力いただきました.感謝いたします.