The 2024 SSJ Fall Meeting

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Poster session (Oct. 21st)

Regular session » S10. Active faults and historical earthquakes

[S10P] PM-P

Mon. Oct 21, 2024 5:15 PM - 6:45 PM Room P (Main Hall (2F))

[S10P-01] The collapse of Showa Bridge and testimony that “the riverbed cracked”

*Kazuo KAWAUCHI1 (1. Niigata University of Pharmacy and Medical and Life Sciences)

1.はじめに
 筆者は地震後三十数年を経過した1999年7月,地震当時新潟市内勤務の前田忠三氏から落橋の様子を,また氏を通じて当時の同行者の渡部薫氏の「川が割れて川底の泥がみえた」という目撃談を詳しく聞く機会を得た.また後に手記をいただいた.川底が割れたのは渡部氏だけが目撃した.
2.渡部氏の証言
 『ギ、ギギイの音を聞きながら急ぎ足でペダルを踏んでいた時、突然、自転車とともに横滑りした感じで真横の車道の端まで10メートル余りも飛ばされ何が起きたのか一瞬わからん状態だった.高欄につかまり激しい揺れの中で川の下流側八千代橋方面を眺めていた.前田さんが,体育館が潰れると叫んだ後キノコ雲が見えボンと音がした直後、自分は「川の水がないぞー」「川底が見えたぞー」と続けて叫んだ.それは逃げる直前のほんの一瞬で「オツ、ワーツ」と言う感じで1〜2秒の出来事だった.両岸に水が別れた感じだった.水が両側に避けたというか、われた、別れた感じで、下の方まで裂けた感じで下流側50メートル位までの川底の泥が見え下流側で水柱も上がった.それと同時に足元の目の前のジョイントが開き始めた.危ないと思った瞬間、桁が落ち始め水しぶきが上がるのを見るやいなや「逃げよう」と叫び夢中で逃げ出した.当日、職場に帰って話したら皆が「ばか言え、目の錯覚だよ.そんなことあるわけないよ」と言われ「そうかなぁ」と思い「以後は誰にも話さなかった」』(前田氏は司法書士の仕事をしていて,渡部氏の聞き取りの記録は精密である)
 昭和大橋はP5とP6の2つの橋脚のみが「消失」した.それ以外の橋脚は立ち残った.二人はDとEの境付近(橋脚P5の上.図参照)の欄干に下流側に向かってしがみついていた.
3.もう一つの証言
 前田氏,渡部氏の証言の20年後にもう一つの証言が得られた.これは新潟日報 2014.6.12 「新潟地震50年 記憶未来へ」からの抜粋である.
高島忠男氏(地震時右岸側下流川岸の自動車整備工場勤務)の証言
 『飛び出して川岸の砂利の山に.グーッと低い音が腹に響いた.振り返ると、昭和大橋の橋脚の一つが川に潜るよう消えた.上に渡されてあった橋桁は一瞬、宙に浮いてとどまっているように見えたが、すぐに真下に落ちた.橋に目がくぎ付けになっている間に、信濃川の水がだんだん引いて小川のようになった.むき出しになった川床では魚が跳ねた』
 高島氏によれば,橋脚が消えたとか川底がむき出しになったとかいう話しをすると,人は皆笑って相手にしてくれなかったという.
4.秋田河水涸れ溝の如き細流となる
 秋田河とは現在の雄物川のことである.昭和大橋下の信濃川で起きた現象は,天長七年(830年)出羽秋田地震の記述中にある地変と酷似している.これは研究者には比較的良く知られている記述だが,トンデモナイ内容なのであまり顧みられなかった.類聚国史を引用した小鹿島果の日本災異史により紹介する. 
  正月二十八日出羽國驛傳奏、今月三日辰刻、大地震動、響如
  雷霆(中略)城辺大河曰秋田河水涸細流如溝、添川今玉川覇
  川未詳闌岸崩塞其水氾濫
5.橋脚は割れ目に引き込まれた
 P5,P6が割れ目に沈下して橋桁が次々とずれ落ちたことは疑いの余地がない.1828年三条地震では小泉其明が信濃川流域の庄瀬というところでの地面が波打つ様子を描いている.軟弱地盤では大地が波打って大河の川底が見えたり川底が裂けたりする現象が起きるのかもしれない.
 本論の現象を珍事とせず,常識に囚われず,また「そんなことあるわけない」など言わず,貴重な他山の石としてこれまで経験したことがない将来の破局的震災に備えたい.