The 2024 SSJ Fall Meeting

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Room B

Regular session » S17. Tsunami

[S17] PM-1

Wed. Oct 23, 2024 1:30 PM - 3:15 PM Room B (Medium-sized Conference room 301 (3F))

chairperson:Satoshi Kusumoto(JAMSTEC), Hiroaki Tsushima(Meteorological Research Institute)

2:00 PM - 2:15 PM

[S17-09] The 1854 Ansei-Tokai and Nanaki Tsunamis at Chichijima, Ogasawara Islands

*Satoshi KUSUMOTO1, Kentaro Imai1, Reiko Sugimori2, Takane Hori1 (1. JAMSTEC, 2. Historiographical Institute)

南海トラフ巨大地震は南海トラフ沈み込み帯沿いで発生頻度が100~150年とばらつきのある海溝型地震である.安政東海・南海地震はその一つで,1854年12月23日0時30分(GMT)頃に発生した安政東海地震とその翌日7時24分(GMT)に発生した安政南海地震は小笠原諸島父島で津波到達の時間や被害の記録が残されている(例えば,Bache, 1856; Kusumoto et al. 2022).父島では昭和東南海地震や昭和南海地震でも津波による被害が出ていることが知られているものの数値的な検証が実施されていない(杉森,2024).そこで本研究では数値計算と古文書の記述に基づいて父島における安政東海・南海地震の津波到達時刻や津波の振幅について検証した.
 父島の津波について,Bache(1856)は”an extraordinary rise and fall of the waters at Peel’s Island on the 23d of December…the waters rose on the evening of the 25th of December to the height is twelve feet”,『海舟全集八海軍歴史(東京大学地震研究所,1987)』は「当年より七ヵ年以前大津浪有之其砌私所持之家五軒程押流し剰へ什物什具等失亡いたし候」,『菊池作次郎御用私用留(東京大学地震研究所,1987)』は「…山の上へ登り見居候処,其浪引取り候節ハ当湊之汐不残引き去り申候時…」とある.いずれの文献も二見湾の最奥部にある奥村で山の根まで津波が遡上して5軒の家屋が流失,最高水位は3~5m程度で,安政南海地震の津波では二見港の海水が残らず引いてしまったことを報告している(図1a,相田,1992;都司,2006).奥村に到達した津波の波形を再現するため,海岸構造物が除去された内閣府の南海トラフの巨大地震モデル検討会の地形データ(最小格子間隔10m)と高性能津波計算コード(JAGURS; Baba et al. 2015)を使って非線形分散波理論を解いた.初期津波波源モデルは安中ほか(2003)を採用した.
 津波伝播の数値計算結果から奥村における津波の最大波出現時刻は地震発生からおよそ1時間40分後だった.父島はグリニッジ標準時から9時間28分進んでいるため津波初動到達時刻は安政東海地震で11時40分頃,安政南海地震で18時30分頃と推定される.古文書に記述された時刻は津波初動到達時刻と最大波出現時刻のどちらが記述されているか不明だが,津波来襲当時は時間分解能が二時間単位の不定時法が採用されていたことから『海舟全集八海軍歴史』の「第十一月二十三日第十時頃」という記述は正しいことが分かる(羽鳥,1985).同様に,Bache(1856)の記述も”evening”の定義が曖昧ではあることや日付に誤りがあることを除いておおむね正しい.数値計算で求まる津波の振幅は押し波で4.7 m程度,引き波で3.9 m程度で,山の根付近までの津波の到達や二見港の海底が露出したという史実を再現できた(図1b).奥村は二見湾の最奥部に位置していることや二見湾の基本モード(16~33分;Nakano and Unoki, 1962)と数値計算で求まった津波波形の卓越周期(20分)が整合することから副振動で局所的に津波が増幅したと推測される(図1c).
 津波痕跡データベース(東北大学・原子力安全基盤機構)において,これらの記録は地震直後に津波体験者に対する聞き取りを書き記したもので文献信頼度として高い.しかしながら,関連現象・被害の記述から浸水高を推測したため痕跡信頼度がDだった.今後,古文書の記述と数値計算を比較しながら検証することで痕跡信頼度を上げることができる可能性がある.
謝辞:本研究は R2-6年度文部科学省「防災対策に資する南海トラフ地震調査研究プロジェクト」(研究代表者:海洋研究開発機構 小平秀一)の一環として行われました.