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[S22-19] Earthquake-Induced Fire in Kawai-machi, Wajima City During the Noto Peninsula Earthquake
2024年1月1日16時10分に発生したM7.6能登半島地震から約50分後,輪島市河井町朝市通り付近で起きた地震火災は,焼失面積約49,000m2,焼失家屋約240棟におよぶ大規模災害に至った(消防庁,2024).消防庁の発表(2024)によれば,火元と思われる建物の屋内電気配線に溶けた痕跡が認められたことから,火災発生から約50分のち電力会社で試送電されたさいに電気に起因する火災が発生した可能性が考えられるものの,具体的な発火源,出火に至る経過及び着火物の特定には至っていないとしている.歴史地震史料を辿れば水溶性ガス田を胚胎する地域(石油技術協会,1983)を震源とする大地震が発生したとき,しばしば地中からメタンの火炎が噴出して火災に至ったという目撃証言がある.すなわち1828年三条地震,1847年善光寺地震,1855年安政江戸地震がその事例である(榎本ほか,2023).水溶性ガスを胚胎する地域は輪島市を含む能登半島北岸一帯も該当する(石油技術協会,1983).そこで上述の歴史地震と同様に2024年能登半島地震に伴った輪島市河井町の地震火災も地中のメタンが火源となった可能性があるとの仮説をたて,まずニュース映像などにもとづいて地震に伴うメタン湧出と自然発火の可能性を検討した.日テレNEWS映像(2924)には火元とされた激しく燃える建物の画面左側の火の気のない駐車場付近に地上から噴き出す火柱とその右近くに小さな火炎列が見える(図1a).激しく燃える建物から煙は画面のやや右に流れていて火の粉が飛ぶ様子は確認できない.それゆえこれらの火柱と火炎列は独立して発生した火災と判断される.となれば火元は一か所ではなく,燃え盛る建物を含め周辺に複数あったことになる.輪島付近は約1万年前の完新生のはじめに海面が急激に上昇し,“溺れ谷”が現在よりかなり山側にまで及び入り江状態となった. この入り江に河原田川および鳳至川が運んだ堆積物が溜まっていった.この堆積層は粘土を主とする軟弱な地層であり,貝の化石や腐植物などの有機物を多く含んでいて,洪水時には砂質土が薄く重なっていった(佐藤,1994). その後の6000年前以降,今回の能登半島地震を含め4回の大きな隆起が起きた(宍倉ほか,2024).その結果,輪島市市街地の地下には最大厚30mの軟弱な粘性土層が分布した(輪島市,1993).この地震のあと,㈱メーサイが実施した輪島市河井町での鑿井と地質調査では,地下数メートルの浅い地層に腐有機物を豊富に含む地層が確認された(図1b).この嫌気性環境でメタンが生成されていることを確認できた. 以上の考察から,輪島市河井町で発生した大規模火災は地下に胚胎するメタンの湧出と自然着火によって大規模火災にいたった可能性が高いと判断した.