[PA097] 反社会的問題行動をあらわす生徒へのリジリアンスの視点
ある「荒れ」た中学校でのフィールドワークから
キーワード:非行, リジリアンス, 学校とのつながり
問題・目的
Ungar(2012)は社会構成主義的な立場からリジリアンスを「重大な逆境のもとで、自らの幸福を維持するための心理・社会・文化、および身体的資源に自らを導く能力でありつつ、そうした資源が文化的に意味あるやり方で提供されるよう、個人内で、または集合的に交渉する能力」と定義する。これはリジリアンスを環境との不断の相互作用プロセスととらえつつ、少年や周囲の大人の環境への意味づけを重視したものである。
このことは、反社会的な問題行動をおこす生徒に与える学校の影響をみる際に重要になる。というのも、一般的に、学校は子どもの社会化にとって大きな役割を果たすと考えられる一方で、逸脱行為を行なう友人の存在が、非行の深化に大きく関わるとする研究(小保方・無藤, 2006; 西野・氏家・二宮ら, 2009)や、非行生徒が、仲間からの排斥によって孤独感を感じるといった結果(Packer & Asher, 1993)や、荒れた学校は落ち着いた学校に比べ、問題行動する生徒への評価が下がらないといった結果(加藤・大久保, 2004)もあるように、その意味が一義的には定まらないからだ。単に学校という環境があることに加え、それを子ども自身や周囲の大人がどのように意味づけ、活動を組織化しているのかをみていく必要があるといえる。
報告者はこれまで、ある中学校1校の1学年を3年間に渡って追跡した。本報告では1年次から「荒れ」の中心にいて「問題」生徒でありつつ、最終的によい変化があったとみなされる2人の生徒の立ち直り過程を主「荒れ」が収束した後に焦点をあてて記述・分析する。
方法
調査対象: X県内の公立中学校1校(A中学)。この地域では大規模に属する。子育て上のリスクを抱える家庭が多く、生徒指導上の問題がおきやすいとされてきた。
調査時期:X年5月からX+2年3月まで、隔週から月1回、午前10時~15時くらいまでの時間帯に中学校に赴いた。訪問回数は1年次:19回、2年次:15回、3年次:17回であった。
調査方法: (1)実践関与的フィールドワークおよび、(2)教師(生徒指導、養護教諭、担任)への半構造化インタビュー。なお、本研究の実施・発表は、研究協力校からの同意に基づいている。
結果と考察
A中学校では1年生入学当初から10名以上の生徒の授業エスケープ・妨害がおこり、対教師暴力もあったが、教師集団の対応によって2年時には、「落ち着いた」とみられるようになった。アキオとコウヘイは問題生徒の1人であったが、コウヘイは2年時には「不良集団といっしょにするな」と自己を差別化して語るようになったり、教室に入れることが増えた。教師から「本当にいい子がそろってる」という所属クラスの雰囲気もこうしたコウヘイの行動を後押ししていたと考えられる。
これに対してアキオは「たまる奴がいない」と以前の荒れた状態を懐かしんだり、「僕には友達がいない」と担任にもらすなど、学校で疎外感を感じていることがうかがわれはじめ、3年生になると、校外の非行仲間とのつながりができて登校時間は減った。教師は、アキオの他校生とのつきあいを抑制するよりむしろ、積極的に関わりのなかに参入してモニターした。その結果、アキオははじめて「よい事をしてほめられる」ことを経験できた。また、指導の一貫として手先の器用なアキオに、校舎の補習を手伝わせて褒めた結果、自分の将来や進路についての意識を高めることができ、現在の非行仲間との交遊が続くことのデメリットを意識するようになった。
Ungar (2006)は若者の反社会的な行動も、パワフルなアイデンティティをえてサバイヴするための戦略だとしているが、アキオへの教師の関わりは「パワフルなアイデンティティ」が反社会的な行為以外で達成できるという現実を共同構築することにつながり、彼が立ち直るための人生径路にのる機会を構築したと考えられる。
Ungar(2012)は社会構成主義的な立場からリジリアンスを「重大な逆境のもとで、自らの幸福を維持するための心理・社会・文化、および身体的資源に自らを導く能力でありつつ、そうした資源が文化的に意味あるやり方で提供されるよう、個人内で、または集合的に交渉する能力」と定義する。これはリジリアンスを環境との不断の相互作用プロセスととらえつつ、少年や周囲の大人の環境への意味づけを重視したものである。
このことは、反社会的な問題行動をおこす生徒に与える学校の影響をみる際に重要になる。というのも、一般的に、学校は子どもの社会化にとって大きな役割を果たすと考えられる一方で、逸脱行為を行なう友人の存在が、非行の深化に大きく関わるとする研究(小保方・無藤, 2006; 西野・氏家・二宮ら, 2009)や、非行生徒が、仲間からの排斥によって孤独感を感じるといった結果(Packer & Asher, 1993)や、荒れた学校は落ち着いた学校に比べ、問題行動する生徒への評価が下がらないといった結果(加藤・大久保, 2004)もあるように、その意味が一義的には定まらないからだ。単に学校という環境があることに加え、それを子ども自身や周囲の大人がどのように意味づけ、活動を組織化しているのかをみていく必要があるといえる。
報告者はこれまで、ある中学校1校の1学年を3年間に渡って追跡した。本報告では1年次から「荒れ」の中心にいて「問題」生徒でありつつ、最終的によい変化があったとみなされる2人の生徒の立ち直り過程を主「荒れ」が収束した後に焦点をあてて記述・分析する。
方法
調査対象: X県内の公立中学校1校(A中学)。この地域では大規模に属する。子育て上のリスクを抱える家庭が多く、生徒指導上の問題がおきやすいとされてきた。
調査時期:X年5月からX+2年3月まで、隔週から月1回、午前10時~15時くらいまでの時間帯に中学校に赴いた。訪問回数は1年次:19回、2年次:15回、3年次:17回であった。
調査方法: (1)実践関与的フィールドワークおよび、(2)教師(生徒指導、養護教諭、担任)への半構造化インタビュー。なお、本研究の実施・発表は、研究協力校からの同意に基づいている。
結果と考察
A中学校では1年生入学当初から10名以上の生徒の授業エスケープ・妨害がおこり、対教師暴力もあったが、教師集団の対応によって2年時には、「落ち着いた」とみられるようになった。アキオとコウヘイは問題生徒の1人であったが、コウヘイは2年時には「不良集団といっしょにするな」と自己を差別化して語るようになったり、教室に入れることが増えた。教師から「本当にいい子がそろってる」という所属クラスの雰囲気もこうしたコウヘイの行動を後押ししていたと考えられる。
これに対してアキオは「たまる奴がいない」と以前の荒れた状態を懐かしんだり、「僕には友達がいない」と担任にもらすなど、学校で疎外感を感じていることがうかがわれはじめ、3年生になると、校外の非行仲間とのつながりができて登校時間は減った。教師は、アキオの他校生とのつきあいを抑制するよりむしろ、積極的に関わりのなかに参入してモニターした。その結果、アキオははじめて「よい事をしてほめられる」ことを経験できた。また、指導の一貫として手先の器用なアキオに、校舎の補習を手伝わせて褒めた結果、自分の将来や進路についての意識を高めることができ、現在の非行仲間との交遊が続くことのデメリットを意識するようになった。
Ungar (2006)は若者の反社会的な行動も、パワフルなアイデンティティをえてサバイヴするための戦略だとしているが、アキオへの教師の関わりは「パワフルなアイデンティティ」が反社会的な行為以外で達成できるという現実を共同構築することにつながり、彼が立ち直るための人生径路にのる機会を構築したと考えられる。