17:00 〜 17:15
[T8-O-12] 活用を目的とした岩石園の岩石同定 ~東京都江戸川区のある小学校を例として~
キーワード:岩石園、岩石教材、文化地質学
東京都江戸川区の旧 江戸川区立上一色小学校(現 東京シューレ江戸川小学校)には,1970年に寄贈された岩石園が現存する.今般,現校長より,理科教育への利用と,児童が岩石を身近に捉える機会の創出として活用できる形に整えたいとの要望があり,石橋弘明が関わることになった.
旧 江戸川区立上一色小学校の敷地内には,幅およそ3.5m,奥行きおよそ2mの玄関側に傾斜した砂利上に,37個(うち3つは植込み内に落下)の直径30cm前後の岩塊と18個の岩石名を記した立て札が現存する(図1).活用に向けた作業の前提として,岩塊の岩種の同定が必要になるため,石橋弘明と大友幸子が同定作業を行なった.
1-A,1-Bとした円礫は玄武岩であり,立て札の「げんぶ岩」と一致した.2-A,2-B,2-Cとした亜角礫は玄武岩であり,2-Bは溶岩で立て札の「げんぶ岩(よう岩)」と一致するが,2-Aと2-Cは火山弾で一致しなかった.3-A,3-Bとした亜角礫は安山岩であり,立て札の「あんざん岩」と一致した.4とした角礫は石灰岩であり,立て札の「せっかい岩」と一致した.5とした角礫は結晶質石灰岩(大理石)であり,立て札の「だいり岩」と誤植を除けば一致した.6-A,6-Bとした角礫は泥岩であり,立て札の「きぬうんもへん岩」と一致しなかった.7とした亜円礫は砂岩であり,立て札の「チャート」と一致しなかった.8とした亜円礫はチャートであり,立て札の「へんま岩」と一致しなかった.9-A、9-Bとした円礫は,9-Aがトーナル岩で,9-Bが花崗岩であり,立て札の「貝化石」と一致しなかった.10-A,10-B,10-Cとした亜角礫は花崗岩(粗粒角閃石黒雲母花崗岩)であり,立て札の「かこう岩」と一致した.11とした円礫は礫岩であり,立て札の「れき岩」と一致した。12とした亜角礫は砂岩であり、立て札の「さ岩」と一致した.13とした亜円礫は砂岩であり,立て札の「ぎょうかい岩」と一致しなかった.14-A,14-Bとした角礫は蛇紋岩であり,立て札の「じゃもん岩」と一致した.15とした割れた円礫は粘板岩であり,立て札の「ねんばん岩」と一致した.16とした亜円礫は砂岩であるが,立て札の「こうさ岩」=硬砂岩と一致しなかった.17とした亜円礫は細粒の砂岩であり,立て札の「でい岩」と一致しなかった.18とした角礫は泥質部分を挟む石英片岩であり,立て札の「せきえいりょくでいへん岩」と名称上一致しなかった.19とした立て札のない角礫は絹雲母片岩であった.20とした立て札のない円礫は安山岩であった.21とした立て札のない角礫は紅簾石片岩であった.22とした立て札のない亜角礫は安山岩もしくは玄武岩であった.23とした立て札のない角礫は流紋岩であった.24とした立て札のない亜角礫は二枚貝の化石を含む砂岩であった.その他,片岩2つ,スカルンが観察できる花崗岩1つ,植込みの土留め石とみられるチャート1つが確認された.
18個の立て札のうち,11個については,全部ないし一部が,また表記方法を修正すれば最も近くにある岩塊の岩種と一致した.立て札の「きぬうんもへん岩」,「チャート」,「貝化石」,「でい岩」の4個については最も近くにある岩塊の岩種とは一致しなかったが,岩石園内の他の岩塊に岩種が一致するものがあった.「へんま岩」,「ぎょうかい岩」、「こうさ岩」については岩石園内に一致する岩塊がなかった.また21とした紅簾石片岩,23とした流紋岩については岩塊がありながら立て札がない状態にあった.
これらの状況は、年数が経ったことによる移動とともに,創設当初から,一部標本に立て札との不一致が存在したことを意味する.ただしこの不一致は,河原石とおぼしき円礫・亜円礫が多いこと,通常の岩石標本の配列とは異なることから,大友,2021の山形市の事例にみられるような,近隣の河原などから学校総体で採取して岩石園をつくるという地域教育や採集過程における教育効果を重視する手法がとられたことを示唆する.
当該岩石園を理科教育や児童が岩石を身近に捉える機会に活用するためには,岩石標本と立て札が一致することが必要である.岩石標本の移動は最低限にとどめ,本調査で判明した岩種に即して制作した立て札を岩石標本に一致させて配置するという手法で対応していく所存である.
引用文献
大友幸子(2021),「山形市内の小中学校の岩石園とその岩石試料ー山形市立第三,第四,第五小学校および鈴川小学校と山形大学付属中学校の岩石園の比較ー」.山形大学紀要(教育科学),第17巻,第4号,133-145.
旧 江戸川区立上一色小学校の敷地内には,幅およそ3.5m,奥行きおよそ2mの玄関側に傾斜した砂利上に,37個(うち3つは植込み内に落下)の直径30cm前後の岩塊と18個の岩石名を記した立て札が現存する(図1).活用に向けた作業の前提として,岩塊の岩種の同定が必要になるため,石橋弘明と大友幸子が同定作業を行なった.
1-A,1-Bとした円礫は玄武岩であり,立て札の「げんぶ岩」と一致した.2-A,2-B,2-Cとした亜角礫は玄武岩であり,2-Bは溶岩で立て札の「げんぶ岩(よう岩)」と一致するが,2-Aと2-Cは火山弾で一致しなかった.3-A,3-Bとした亜角礫は安山岩であり,立て札の「あんざん岩」と一致した.4とした角礫は石灰岩であり,立て札の「せっかい岩」と一致した.5とした角礫は結晶質石灰岩(大理石)であり,立て札の「だいり岩」と誤植を除けば一致した.6-A,6-Bとした角礫は泥岩であり,立て札の「きぬうんもへん岩」と一致しなかった.7とした亜円礫は砂岩であり,立て札の「チャート」と一致しなかった.8とした亜円礫はチャートであり,立て札の「へんま岩」と一致しなかった.9-A、9-Bとした円礫は,9-Aがトーナル岩で,9-Bが花崗岩であり,立て札の「貝化石」と一致しなかった.10-A,10-B,10-Cとした亜角礫は花崗岩(粗粒角閃石黒雲母花崗岩)であり,立て札の「かこう岩」と一致した.11とした円礫は礫岩であり,立て札の「れき岩」と一致した。12とした亜角礫は砂岩であり、立て札の「さ岩」と一致した.13とした亜円礫は砂岩であり,立て札の「ぎょうかい岩」と一致しなかった.14-A,14-Bとした角礫は蛇紋岩であり,立て札の「じゃもん岩」と一致した.15とした割れた円礫は粘板岩であり,立て札の「ねんばん岩」と一致した.16とした亜円礫は砂岩であるが,立て札の「こうさ岩」=硬砂岩と一致しなかった.17とした亜円礫は細粒の砂岩であり,立て札の「でい岩」と一致しなかった.18とした角礫は泥質部分を挟む石英片岩であり,立て札の「せきえいりょくでいへん岩」と名称上一致しなかった.19とした立て札のない角礫は絹雲母片岩であった.20とした立て札のない円礫は安山岩であった.21とした立て札のない角礫は紅簾石片岩であった.22とした立て札のない亜角礫は安山岩もしくは玄武岩であった.23とした立て札のない角礫は流紋岩であった.24とした立て札のない亜角礫は二枚貝の化石を含む砂岩であった.その他,片岩2つ,スカルンが観察できる花崗岩1つ,植込みの土留め石とみられるチャート1つが確認された.
18個の立て札のうち,11個については,全部ないし一部が,また表記方法を修正すれば最も近くにある岩塊の岩種と一致した.立て札の「きぬうんもへん岩」,「チャート」,「貝化石」,「でい岩」の4個については最も近くにある岩塊の岩種とは一致しなかったが,岩石園内の他の岩塊に岩種が一致するものがあった.「へんま岩」,「ぎょうかい岩」、「こうさ岩」については岩石園内に一致する岩塊がなかった.また21とした紅簾石片岩,23とした流紋岩については岩塊がありながら立て札がない状態にあった.
これらの状況は、年数が経ったことによる移動とともに,創設当初から,一部標本に立て札との不一致が存在したことを意味する.ただしこの不一致は,河原石とおぼしき円礫・亜円礫が多いこと,通常の岩石標本の配列とは異なることから,大友,2021の山形市の事例にみられるような,近隣の河原などから学校総体で採取して岩石園をつくるという地域教育や採集過程における教育効果を重視する手法がとられたことを示唆する.
当該岩石園を理科教育や児童が岩石を身近に捉える機会に活用するためには,岩石標本と立て札が一致することが必要である.岩石標本の移動は最低限にとどめ,本調査で判明した岩種に即して制作した立て札を岩石標本に一致させて配置するという手法で対応していく所存である.
引用文献
大友幸子(2021),「山形市内の小中学校の岩石園とその岩石試料ー山形市立第三,第四,第五小学校および鈴川小学校と山形大学付属中学校の岩石園の比較ー」.山形大学紀要(教育科学),第17巻,第4号,133-145.