16:00 〜 17:30
[S10P-02] 大沢家本願寺関係文書に含まれる地震史料
1. はじめに
2020年1月, 岐阜県在住の大沢喜久氏宅にて, まとまった量の安政東海・南海地震および安政江戸地震に関する史料が発見された. 保存されていた状態と内容から, 西本願寺とそれに関係する寺院・人物により書き留められた記録を集めて綴じたものであることが分かる. 本稿では, これらの文書を仮に「大沢家本願寺関係文書」と呼ぶこととし, その概要と調査状況について報告する.
2. 大沢家本願寺関係文書
大沢家では, かつて, 古紙を仕入れて紙漉き業者へ原料として卸すとともに, 仕入れ品の内容によっては史料として売却することを業務とする会社を経営していた. 本稿で紹介する大沢家本願寺関係文書は, その時期に大沢家が仕入れたもので, 売却せずに手元に残していたものであると考えられる. このたび, 現当主の大沢喜久氏の厚意により, そのうちの地震関係の記録をデジタル画像化することができ, 名古屋大学において内容調査を行うこととなった.
文書全体としては, 西本願寺とそれに関係する寺院・人物にかかわる記録を集めたものである. そのため, 地震の記録に限ったものではなく, 将軍家へ進上した品々の記録なども存在している. 地震関係では, 1854年の安政東海・南海地震に関する記録「諸国地震並津浪一件」(図1)一番から四番までの4冊と, 1855年の安政江戸地震に関する記録「江戸地震大火一件」(図2)一番・二番の2冊があり, 総計400枚ほどの量がある. 大沢家所蔵の文書の一部については, 岐阜県歴史資料館において目録が公開されているが, 大沢家本願寺関係文書に含まれるものに関しては記載がなく, 新出と考えられる.
詳細な内容把握と分析は今後の課題となるが, 現時点で解読できている部分については, 安政元年十一月四日(1854年12月23日)の安政東海地震発生の直後から数日間にかけて交わされた手紙が主体である. 差出人と宛名からは, 西本願寺と大阪津村御堂(北御堂)や摂津・大和の末寺との間のやり取りであることが分かる. 大阪所在の筆者による手紙では, 寺院の損傷状況に加えて, よく知られた道頓堀への津波の遡上に関する話題が頻繁に出現している.
3. 課題
今後, 大沢家本願寺関係文書についての目録作成と内容把握を進めるとともに, 史料の信頼性や既出史料への引用の有無などについても調査を行う予定である.
謝辞
大沢喜久氏には, 大沢家本願寺関係文書の閲覧とデジタルスキャニングを許可いただき, 心より感謝申し上げる. 京都大学の中西一郎名誉教授と名古屋大学の石川寛准教授には, 大沢家に関する情報を提供いただくとともに, 大沢氏との面会の機会を作っていただいた. 名古屋大学の山中佳子准教授には, 大沢家本願寺関係文書のデジタルスキャニングに係る費用を拠出いただいた. また, 大沢家本願寺関係文書の解読にあたっては, 名古屋大学減災連携研究センター古文書勉強会の協力をいただいた. それぞれ, ここに記して感謝の意を表する.
2020年1月, 岐阜県在住の大沢喜久氏宅にて, まとまった量の安政東海・南海地震および安政江戸地震に関する史料が発見された. 保存されていた状態と内容から, 西本願寺とそれに関係する寺院・人物により書き留められた記録を集めて綴じたものであることが分かる. 本稿では, これらの文書を仮に「大沢家本願寺関係文書」と呼ぶこととし, その概要と調査状況について報告する.
2. 大沢家本願寺関係文書
大沢家では, かつて, 古紙を仕入れて紙漉き業者へ原料として卸すとともに, 仕入れ品の内容によっては史料として売却することを業務とする会社を経営していた. 本稿で紹介する大沢家本願寺関係文書は, その時期に大沢家が仕入れたもので, 売却せずに手元に残していたものであると考えられる. このたび, 現当主の大沢喜久氏の厚意により, そのうちの地震関係の記録をデジタル画像化することができ, 名古屋大学において内容調査を行うこととなった.
文書全体としては, 西本願寺とそれに関係する寺院・人物にかかわる記録を集めたものである. そのため, 地震の記録に限ったものではなく, 将軍家へ進上した品々の記録なども存在している. 地震関係では, 1854年の安政東海・南海地震に関する記録「諸国地震並津浪一件」(図1)一番から四番までの4冊と, 1855年の安政江戸地震に関する記録「江戸地震大火一件」(図2)一番・二番の2冊があり, 総計400枚ほどの量がある. 大沢家所蔵の文書の一部については, 岐阜県歴史資料館において目録が公開されているが, 大沢家本願寺関係文書に含まれるものに関しては記載がなく, 新出と考えられる.
詳細な内容把握と分析は今後の課題となるが, 現時点で解読できている部分については, 安政元年十一月四日(1854年12月23日)の安政東海地震発生の直後から数日間にかけて交わされた手紙が主体である. 差出人と宛名からは, 西本願寺と大阪津村御堂(北御堂)や摂津・大和の末寺との間のやり取りであることが分かる. 大阪所在の筆者による手紙では, 寺院の損傷状況に加えて, よく知られた道頓堀への津波の遡上に関する話題が頻繁に出現している.
3. 課題
今後, 大沢家本願寺関係文書についての目録作成と内容把握を進めるとともに, 史料の信頼性や既出史料への引用の有無などについても調査を行う予定である.
謝辞
大沢喜久氏には, 大沢家本願寺関係文書の閲覧とデジタルスキャニングを許可いただき, 心より感謝申し上げる. 京都大学の中西一郎名誉教授と名古屋大学の石川寛准教授には, 大沢家に関する情報を提供いただくとともに, 大沢氏との面会の機会を作っていただいた. 名古屋大学の山中佳子准教授には, 大沢家本願寺関係文書のデジタルスキャニングに係る費用を拠出いただいた. また, 大沢家本願寺関係文書の解読にあたっては, 名古屋大学減災連携研究センター古文書勉強会の協力をいただいた. それぞれ, ここに記して感謝の意を表する.