The 2024 SSJ Fall Meeting

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Poster session (Oct. 21st)

Late-Breaking Session » S23. The 2024 Hyuga-nada Earthquake and its Effects

[S23P] PM-P

Mon. Oct 21, 2024 5:15 PM - 6:45 PM Room P (Main Hall (2F))

[S23P-13] Earthquakes in the Early Modern Era with epicenter in Hyuga-nada

*Rei Mizuno1, Yasuyuki Kano2, Masaharu Ebara1 (1. Association for the Development of Earthquake Prediction, 2. Univ. of Tokyo)

2024年8月8日,日向灘を震源とするM7.1・最大震度6弱の地震が発生した.地震本部による日向灘で発生する地震を参照すれば,〈ひとまわり小さい地震〉に該当しよう.この地震の平均発生間隔は,1919年以降の103年間に5回となっている(地震本部2022).
一方,歴史時代発生の地震で震央日向灘として確定的なのは,1662年10月31日(寛文二年九月二十日)発生の外所地震と,1769年8月29日(明和六年七月二十八日)発生の豊後・日向で被害が出た地震の二つのみである(地震本部2022).20世紀以降の発生間隔から考えれば少なく,地震発生履歴の構築が求められる.しかし,九州南部は既刊地震史料集では史料調査が行き届いていない地域といえる.本報告では,近年の調査で新たに見つかった史料を踏まえて,日向灘を震央とする可能性をもつ地震の発生履歴を示す.一部成果については(水野ほか2023,以下前稿)として公表しており,その後の調査成果を含めたものとなる(以下,既刊地震史料集にない新出地震記録は下線を付す).
まず19世紀前半の九州の比較的広域に有感記録をもつ地震か,もしくは九州南部に震動記録をもつ地震を中心にみる.
1815年4月25日(文化十二年三月十六日)地震は,高鍋,臼杵・大分,佐賀に有感記録がある.
1817年2月2日(文化十三年十二月十七日)地震は,佐賀,福岡,阿蘇,臼杵,広島,伊予小松で有感,かつ佐賀では強い震動を記録する.臼杵でも城内検分が行われており,震動の強さをうかがわせる.
1835年5月18日(天保六年四月二十一日)地震は,被害は発生していないものの,「大地震」を鹿児島都城阿蘇,高知,宇和島善通寺で記録し,九州各地および東は岐阜や三重まで同時刻帯に発生記録をもつ.しかし前稿以降,紀伊田辺に「大地震」の記録を見出したため,地震像に検討の余地を残す.
1843年6月1日(天保十四年五月四日)地震鹿児島都城阿蘇高森で「大地震」の記録が,佐賀阿蘇南郷にも有感記録がある.
1844年6月24日(弘化元年五月九日)地震では,延岡と都城で家屋・土蔵に被害が出ている.各地の震動状況は,鹿児島重富,三股・高原で二度の「大地震」が,臼杵も震動は大きく,熊本県域は「地震」が,佐賀・鹿島・嬉野で「大地震」が記録されている.このほか,朝倉・小倉,広島,伊予小松,萩などで有感記録がある.この地震における留意点は佐賀での「大地震」の記録で,九州南部の地震と同時刻帯に発生記録があるとはいえ,九州南北に「大地震」が記録される点は,別の地震だった可能性を残す.翌25日(五月十日)にも九州南北で地震が記録されている.
1848年2月7日(嘉永元年正月三日)地震は,高千穂で「大地震」が,加治木で「地震」が記録されている.1848年6月3日(嘉永元年五月三日)にも鹿児島,佐賀牛津に「大地震」の記録がある.
以上が,19世紀前半における日向灘を震央とする可能性をもつ地震となる.また,当該時期に鹿児島は比較的地震記録があり,鹿児島単独の記録として,1842年7月22日(天保十三年六月十五日)「大地震」1843年10月7日(天保十四年九月十四日)1846年9月19日(弘化三年七月二十九日)1848年5月20日(嘉永元年四月十八日)1849年3月31日(嘉永二年三月八日)1850年3月18日(嘉永三年二月五日)がある.宮崎では同時期の新出記録はなく,課題となる.
一方,18世紀以前における九州南部での地震記録については,鹿児島では既知の地震は非常に少なく,1596年9月(慶長元年閏七月),1662年10月30日(寛文二年九月十九日)外所地震,宝永南海トラフ地震のみである.これに新出記録として,1609年2月3日(慶長十三年十二月二十九日)「大地震」1609年9月17~20日(慶長十四年八月十九~二十二日)「大地震」1650年7月4日(慶安三年六月六日)「大地震」1728年7月9日(享保十三年六月三日)被害地震1744年9月13日(延享元年八月七日)を追加できる.
宮崎では被害地震も知られており,1680年12月28日(延宝八年十一月八日)飫肥城被害,1684年12月22日(貞享元年十一月十六日)飫肥城被害,1698年10月24日(元禄十一年九月二十一日)大分・高鍋被害の地震がある.これに宇和島での「余程強」地震記録を追加できる.高鍋では1699年7月21日(元禄十二年六月二十五日)にも被害地震があり,翌1700年9月17日(元禄十三年八月五日)にも相応の地震が発生している.同時期,宇和島でも毎年複数回ずつ地震が記録されており,さらなる検討が求められる.新出の地震記録としては都城での1792年9月7日(寛政四年七月二十一日)1792年10月17日(寛政四年十月十七日)1793年5月15日(寛政五年四月六日)の有感記録がある.
18世紀以前の地震は単独の記録が多く,日向灘地震ではない可能性が多分にあり,地震記録の集積と分析は今後の課題となる.一方,19世紀前半は歴史地震記録の集積が進み,1840年代前後は九州南部の地震記録が比較的多い時期といえる.