[PC077] 「赤毛のアン」の成長の妥当性
愛着の観点から
キーワード:愛着, 愛着障害, 「赤毛のアン」
目 的
Montgomery, L. M. 著「赤毛のアン」(1908)は,孤児として不遇な子ども時代を過ごし,発達心理学的に不利な状況にあったにもかかわらず,賢く愛情豊かな女性に成長する様子を描いた児童文学である。幼少期の愛着形成において問題がある者の回復の過程が描かれていると考えられるが,その成長の過程は,発達心理学の知見と一致しているか,発達心理学の観点から無理はないかを検討することが本研究の目的である。幼少期に孤児となり,誰からも愛されたことがなかったアンは11才の時にクスバート家に来るが,「赤毛のアン」に書かれている記述から,1.それまでのアンの育ち,2.クスバート家に来た当初のアンの様子,3.その後のアンの変化に関して愛着の観点から検討を行う。そしてフィクションの小説ではあるが,幼少期の愛着形成において問題がある者の回復の過程やそこに寄与する要因についても考察する。
結果と考察
1.アンの育ち
アンの語りによれば,生後3ヶ月で母親,次いで父親も熱病で死去(父母は共に高校教師)。親戚もなく引き取り手がいなかったため,近所に住む一家に引き取られる。貧しく酒飲み亭主のいる家庭で,子守り兼小間使いとしてこき使われ,つらい思いをしながら,二軒の家で過ごし(大勢の子の面倒をみるため,学校へもほとんど行けなかった),その後4ヶ月孤児院で暮してから,独身の老兄妹マシューとマリラの家にくる。「誰も私をほしがる人はいなかったのよ。それが私の運命らしいわ」とアンは言っているが,愛着対象をもつことなく,誰からも愛されたことがない少女である(唯一何でも話せる相手は想像上の友人であった)。
2.クスバート家に来た当初のアンの様子
愛着対象をもたず,誰からも愛されなかったため,愛着に関する障害があることが予想される。著者は必ずしも否定的なものとして書いていない場合もあるが,グリーン・ゲーブルスに来た頃のアンには行動的・心理的に様々な問題がある。
1)感情のコントロールができず 特に怒りのコントロールができない。
2)よく知らない人に対するなれなれしい態度がみられる。これはDSM-Ⅳの愛着障害の診断基準の「拡散された愛着」に該当すると思われる。
3)大げさな表現-アンのおしゃべりは想像も加わっていて大げさだし,喜び方や謝り方も演技的と言える位大げさである。
4)自己評価が極めて低い。強い劣等感をもち 誰にも愛されない,誰からも望まれない,自分は哀れな孤児だと何度も言っている。
5)嘘をつく。
そのような問題が見られる一方,他者と関係を持とうとしない,あるいはそれがむずかしいというDSM-Ⅳの愛着障害の診断基準の「回避性」の傾向はもっておらず,他者との関係性は基本的にうまくいっている。対人的な自信がないにもかかわらず,よい関係を作る力をもっていることと,はじめから学業優秀な点は,育ちから導くことはむずかしいと思われる。
3.その後のアンの成長
アンは11才まで愛情を受けずしつけも満足に受けていなかったが,優しいマシュウと厳しいが愛情をもって育ててくれるマリラのもとで,安全基地と安全感を得て,また荒れた気持ちを宥め慰めてくれる他者を得て徐々にかんしゃくをおこすこともなく穏やかな少女になっていく。
近隣の人も友人も,孤児であり,かんしゃくもちで変わったところのあるアンを受入れてくれ,学校でもアンはのびのびと個性を発揮して友人との生活を楽しむ。
そして「私は自分のほか,誰にもなりたくないわ」と今の自分を肯定するようになる。強い劣等感をもち,誰にも愛されない,哀れな孤児という自己概念は大きく変わっている。
4.アンの変化に寄与したもの
アンの変化に寄与した要因として,1)暖かくしっかりとした養育 2)学習の機会と動機づけの提供 3)よい友人関係 4)地域の大人とのかかわりがあげられる。これらは,山岸(2008)の被虐待児の立ち直りについての検討や,レジリエンスの促進要因としてあげられていることと共通しているといえる。
アンが当初からもっていた対人的能力や学業上の能力に関しては,語られた育ち方では少々無理があるが,クスバート家そしてアボンリーで生活する中でのアンの変化に関しては,発達心理学の見解と一致するものであることが示された。
Montgomery, L. M. 著「赤毛のアン」(1908)は,孤児として不遇な子ども時代を過ごし,発達心理学的に不利な状況にあったにもかかわらず,賢く愛情豊かな女性に成長する様子を描いた児童文学である。幼少期の愛着形成において問題がある者の回復の過程が描かれていると考えられるが,その成長の過程は,発達心理学の知見と一致しているか,発達心理学の観点から無理はないかを検討することが本研究の目的である。幼少期に孤児となり,誰からも愛されたことがなかったアンは11才の時にクスバート家に来るが,「赤毛のアン」に書かれている記述から,1.それまでのアンの育ち,2.クスバート家に来た当初のアンの様子,3.その後のアンの変化に関して愛着の観点から検討を行う。そしてフィクションの小説ではあるが,幼少期の愛着形成において問題がある者の回復の過程やそこに寄与する要因についても考察する。
結果と考察
1.アンの育ち
アンの語りによれば,生後3ヶ月で母親,次いで父親も熱病で死去(父母は共に高校教師)。親戚もなく引き取り手がいなかったため,近所に住む一家に引き取られる。貧しく酒飲み亭主のいる家庭で,子守り兼小間使いとしてこき使われ,つらい思いをしながら,二軒の家で過ごし(大勢の子の面倒をみるため,学校へもほとんど行けなかった),その後4ヶ月孤児院で暮してから,独身の老兄妹マシューとマリラの家にくる。「誰も私をほしがる人はいなかったのよ。それが私の運命らしいわ」とアンは言っているが,愛着対象をもつことなく,誰からも愛されたことがない少女である(唯一何でも話せる相手は想像上の友人であった)。
2.クスバート家に来た当初のアンの様子
愛着対象をもたず,誰からも愛されなかったため,愛着に関する障害があることが予想される。著者は必ずしも否定的なものとして書いていない場合もあるが,グリーン・ゲーブルスに来た頃のアンには行動的・心理的に様々な問題がある。
1)感情のコントロールができず 特に怒りのコントロールができない。
2)よく知らない人に対するなれなれしい態度がみられる。これはDSM-Ⅳの愛着障害の診断基準の「拡散された愛着」に該当すると思われる。
3)大げさな表現-アンのおしゃべりは想像も加わっていて大げさだし,喜び方や謝り方も演技的と言える位大げさである。
4)自己評価が極めて低い。強い劣等感をもち 誰にも愛されない,誰からも望まれない,自分は哀れな孤児だと何度も言っている。
5)嘘をつく。
そのような問題が見られる一方,他者と関係を持とうとしない,あるいはそれがむずかしいというDSM-Ⅳの愛着障害の診断基準の「回避性」の傾向はもっておらず,他者との関係性は基本的にうまくいっている。対人的な自信がないにもかかわらず,よい関係を作る力をもっていることと,はじめから学業優秀な点は,育ちから導くことはむずかしいと思われる。
3.その後のアンの成長
アンは11才まで愛情を受けずしつけも満足に受けていなかったが,優しいマシュウと厳しいが愛情をもって育ててくれるマリラのもとで,安全基地と安全感を得て,また荒れた気持ちを宥め慰めてくれる他者を得て徐々にかんしゃくをおこすこともなく穏やかな少女になっていく。
近隣の人も友人も,孤児であり,かんしゃくもちで変わったところのあるアンを受入れてくれ,学校でもアンはのびのびと個性を発揮して友人との生活を楽しむ。
そして「私は自分のほか,誰にもなりたくないわ」と今の自分を肯定するようになる。強い劣等感をもち,誰にも愛されない,哀れな孤児という自己概念は大きく変わっている。
4.アンの変化に寄与したもの
アンの変化に寄与した要因として,1)暖かくしっかりとした養育 2)学習の機会と動機づけの提供 3)よい友人関係 4)地域の大人とのかかわりがあげられる。これらは,山岸(2008)の被虐待児の立ち直りについての検討や,レジリエンスの促進要因としてあげられていることと共通しているといえる。
アンが当初からもっていた対人的能力や学業上の能力に関しては,語られた育ち方では少々無理があるが,クスバート家そしてアボンリーで生活する中でのアンの変化に関しては,発達心理学の見解と一致するものであることが示された。