10:00 〜 12:00
[PA11] 精神的自立の進む過渡期におけるキャリアの歩み
進路を追求しつつも非行にはしり,非行を乗り越えて進路を追求していった私の場合
キーワード:精神的自立, キャリア, 非行
問 題
精神的自立の進む過渡期におけるキャリアのあゆみを,若者の内面に焦点を合わせ,縦断的に追究した論文を検索できなかった。青年心理学の足場に立ち,私の場合を回想的に探求する。
方 法
方法はSprangerの了解に則る。対象は宮野祥雄・私である。研究は2016年12月1日より続いている。
了解的探求
私は難産で誕生し,玩具に興味を示さない子であり,小学校低学年の学業成績はほとんどが“最劣”であった。2年次に分校に移っていじめられ,登校しぶりや欠席をした。落ち着きを欠く,と先生に言われていた。
前述した幼児期の傾向,学業成績,落ち着きを欠く(多動)傾向や,後の発達状態をもとに難産の影響による発達の偏り・遅れを推察する。
精神的自立の進む過渡期におけるキャリアの歩み:私の場合
小学校高学年 友人関係・水泳・学業成績・進路 5年次に,勉強もできずスポーツ能力の劣った私のことを,“親友”と言う級友が出現。前年,川の好きな私は川で命を失いかけるということがあり,自己流で泳ぎにトライした(6年次には泳げるようになり,中学3年次の水泳大会のリレーのアンカーに選ばれる)。夏休みに,成績が上がるから,と“親友”に勧められて工作品を,担任の先生に提出。6年次に“親友”が国立大附属中を受験すると言うので,私は某大学附属中を受験すると言い出した。が,司書見習の先輩に宮野君はダメだよと言われて,この志望が話にならないということを理解した。
私のこの志望の背後には,某大学病院の先生のおかげでこの世に生を受けたとの思いがあったのではないか。
死の強迫観念・神経症(神経症性障害ほか) 学業,将来,家庭内のトラブル,家庭の経済状態に強い不安を有し,母が死ぬ,自分も死ぬ,という考えが不随意に生じて苦しみだした。夜,夕方,雨の日,やがて曇りの日にも憂鬱になり,前述の強迫観念が生じるようになった(中学時代には,これらのことに悩んだ覚えがない)。
中学生 友人関係 同級生と,また,独りで川へ魚釣りや魚とりに行くようになり,泳ぎにもよく行った(中学2年次には遊泳禁止区域で泳ぐようになり,得意になる)。
先生の酷い言葉 朝礼で,ある先生が,宮野のうちはPTA会費も給食費も払わないのに兄の方は金のかかる少年探偵団にはいっている,そんな金があるならPTA会費や給食費を払え,と言った。ある先生は,授業中,宮野君,君は…さん(級友)の爪の垢でも煎じて飲みなさい,少しは頭が良くなる,と言った(忘れられない事柄である)。
思慕 同じクラスの女子に恋をし,この恋は中学時代続く。
母との関係 中学1年次に母の強情さ,いいかげんさに腹を立てて母とぶつかり,家出をしたりした。
運動会 600m走に無理やり出された。短距離走においてはいつも最下位であった私は,快い体験をした(この後,マラソンをするようになり,高校3年次のマラソン大会においては走行中,自己との闘いを展開し,1・3年生総数約1400人中15位になる)。
いじめ 中学2年次にクラスのある男子が私の隣の女子に,なんで宮野に(給食の)おかずをやるんだ,と,くってかかり,私を恫喝した。
成績 3年間,教科のほとんどが“3(平均)”であった。
価値観 中学3年次に“親友(我が強く腕力があり,勉強やスポーツもでき,私が敬意を有する)”がツッパリ傾向の同級生に対してとったおどけた言動に驚き,ショックを受けた。
この後,“ツッパリ”にも価値を置くようになるが,このことには,いじめに萎縮しないようにと,父に,父の知人の強い男や侠客の話を聞かされてきたという事の影響もあったのではないか。
知能テストの結果 私の知能テストの結果が凄く良いということを,友人に言われて知った。それまでの知能テストでは,どうやればよいのか,いつも意味の分からない問題があったが,この時は,それがなかった。
進学 公立高校の受験で担任の先生の勧める高校を断って,私にとっては超難関の某高校の受験を主張。某私立大学附属高校に補欠合格したが,経済的に無理と家で言われた。それでも主張する公立高校を受験し,不合格となり,母とも担任の先生とも酷くぶつかった。卒業式に出て惨めな思いをし,親にも自分にも嫌気がさして厭世的になり,生きてたってしょうがない,死んでやる,と薬局屋で睡眠薬を買ってきて飲んだ。職業高校の二次募集があり,入試に合格し,行き場ができた。
職業高校生 勉強して大学へ行こうとこの職業高校に通ううち,普通科でないということで本校が嫌になり,専門教科や演習の授業が嫌でたまらなくなった。前述した強迫観念が起きてきた。夏休み後,高校の受け直しを決意し,再受験に友人を誘った(この友人は先生や親御さんの説得で再受験をやめた)。高校の担任の先生や中学の担任だった先生に決意を打ち明けて学校を休み,再受験を反対した親には学校へ行く振りをして都立の図書館に通い,再受験の勉強をした。
職業高校を退学し,図書館で勉強 高校の担任の先生に退学届をだしてほしいと言われ,親に事実を話し,退学届を提出した。同じ中学校出身のツッパリの同級生に駅前で呼び止められて頭突きをくらわされて鼻血を出した。そこを,出身中学の先生が強張った顔をして通り過ぎた。この時は相手が怖くて抵抗すらできなかった。親や教師に泣きつく,言う(密告する・垂れ込む)のは嫌だ,言ったら余計悪化する,と思っていた。
この時の感情や判断には,いじめで身についた萎縮性やプライド,精神的自立の過渡期の心性が強く作用している,と推察する。
普通高校生 再受験し,不合格となったが,普通高校の二次募集試験に合格し,この高校に入学。中学時代に私が恋をした女子同級生に勉強することを勧められ,猛勉をする“親友”に勉強の仕方を教えられた。大学受験の勉強,学業,同性の友だち,恋するガールフレンドとの付き合いの毎日を過ごしていくうちに,前述した強迫観念が意識にのぼらなくなった。
ツッパリ・非行化 歳上ということで,ある級友たちに,彼らとある先輩とのいざこざに引っ張り出されての決闘を機に,いじめに萎縮しないを通り越してツッパリ,非行にはしった。ボディビルをやり,空手の訓練をし,右手の握りこぶしの骨を正拳突きでつぶした。私をいじめた各々の同級生と,決闘する意志のもとに対峙し,彼らに深く謝罪されて許した。駅前アパートの空き地の枯れ草に放火したり,父親の愛人の店から高価な商品を持ち出して質入れしたりする,親に裏切られたある友人に前述の非行を諭したこともあった。私は放校処分となった。
前述してきたツッパリ・非行化には,いじめをされていじめっ子にびくびくしてきたことの“過補償”や,価値観,1年ダブっているということのひけ目などの作用も考えられよう。
転校以降の高校生 担任の先生が働いてくれて,ある先生のサポートもあり,親の借金で某大学附属高校へ転校できて理系のクラスに入った。校内英単語試験の得点・順位が幾度も廊下に張り出された。校内のツッパリ一派に級友へのいじめをやめさせた。数学,英語の成績が良く,数学の先生になりたいと思い,国立大学教育学部を受験したが不合格となった。
大学浪人 2年目の自宅浪人中,地域の床屋さんや兄の友達などから,なぜ働かないのかと説教をされ,自衛隊への入隊を勧められた。…の方々から息子さんは働かないで何しているのか,と言われる,受かりもしない受験をやめて仕事を…,と父から言われて,親のくせに,苦しい状態で頑張っている僕のことをわかろうともしない,…と,殺意のこもる憎悪にとらわれだした。家を離れようと思い,旅に出てアルバイトをし,国立大受験を続けた。時々,家に戻った。やくざグループから抜けようとして足をひっぱられたが,抜けて立ち直っていく若者や,親に捨てられて非行にはしり,立ち直った若者らとの出会いもあって自らの非行を反省しだした。
若者の役に立つ職業,若者の立ち直りの役に立つ職業に就きたいという気持ちが強まり,背水の陣を敷き,家に戻って勉強した。翌年,学力を考慮の上,国立大学教育学部を受験,合格し,入学した。
以上の事柄から,精神的自立の進む過渡期における私の固執傾向の生きたキャリアの歩みが明らかであろう。
精神的自立の進む過渡期におけるキャリアのあゆみを,若者の内面に焦点を合わせ,縦断的に追究した論文を検索できなかった。青年心理学の足場に立ち,私の場合を回想的に探求する。
方 法
方法はSprangerの了解に則る。対象は宮野祥雄・私である。研究は2016年12月1日より続いている。
了解的探求
私は難産で誕生し,玩具に興味を示さない子であり,小学校低学年の学業成績はほとんどが“最劣”であった。2年次に分校に移っていじめられ,登校しぶりや欠席をした。落ち着きを欠く,と先生に言われていた。
前述した幼児期の傾向,学業成績,落ち着きを欠く(多動)傾向や,後の発達状態をもとに難産の影響による発達の偏り・遅れを推察する。
精神的自立の進む過渡期におけるキャリアの歩み:私の場合
小学校高学年 友人関係・水泳・学業成績・進路 5年次に,勉強もできずスポーツ能力の劣った私のことを,“親友”と言う級友が出現。前年,川の好きな私は川で命を失いかけるということがあり,自己流で泳ぎにトライした(6年次には泳げるようになり,中学3年次の水泳大会のリレーのアンカーに選ばれる)。夏休みに,成績が上がるから,と“親友”に勧められて工作品を,担任の先生に提出。6年次に“親友”が国立大附属中を受験すると言うので,私は某大学附属中を受験すると言い出した。が,司書見習の先輩に宮野君はダメだよと言われて,この志望が話にならないということを理解した。
私のこの志望の背後には,某大学病院の先生のおかげでこの世に生を受けたとの思いがあったのではないか。
死の強迫観念・神経症(神経症性障害ほか) 学業,将来,家庭内のトラブル,家庭の経済状態に強い不安を有し,母が死ぬ,自分も死ぬ,という考えが不随意に生じて苦しみだした。夜,夕方,雨の日,やがて曇りの日にも憂鬱になり,前述の強迫観念が生じるようになった(中学時代には,これらのことに悩んだ覚えがない)。
中学生 友人関係 同級生と,また,独りで川へ魚釣りや魚とりに行くようになり,泳ぎにもよく行った(中学2年次には遊泳禁止区域で泳ぐようになり,得意になる)。
先生の酷い言葉 朝礼で,ある先生が,宮野のうちはPTA会費も給食費も払わないのに兄の方は金のかかる少年探偵団にはいっている,そんな金があるならPTA会費や給食費を払え,と言った。ある先生は,授業中,宮野君,君は…さん(級友)の爪の垢でも煎じて飲みなさい,少しは頭が良くなる,と言った(忘れられない事柄である)。
思慕 同じクラスの女子に恋をし,この恋は中学時代続く。
母との関係 中学1年次に母の強情さ,いいかげんさに腹を立てて母とぶつかり,家出をしたりした。
運動会 600m走に無理やり出された。短距離走においてはいつも最下位であった私は,快い体験をした(この後,マラソンをするようになり,高校3年次のマラソン大会においては走行中,自己との闘いを展開し,1・3年生総数約1400人中15位になる)。
いじめ 中学2年次にクラスのある男子が私の隣の女子に,なんで宮野に(給食の)おかずをやるんだ,と,くってかかり,私を恫喝した。
成績 3年間,教科のほとんどが“3(平均)”であった。
価値観 中学3年次に“親友(我が強く腕力があり,勉強やスポーツもでき,私が敬意を有する)”がツッパリ傾向の同級生に対してとったおどけた言動に驚き,ショックを受けた。
この後,“ツッパリ”にも価値を置くようになるが,このことには,いじめに萎縮しないようにと,父に,父の知人の強い男や侠客の話を聞かされてきたという事の影響もあったのではないか。
知能テストの結果 私の知能テストの結果が凄く良いということを,友人に言われて知った。それまでの知能テストでは,どうやればよいのか,いつも意味の分からない問題があったが,この時は,それがなかった。
進学 公立高校の受験で担任の先生の勧める高校を断って,私にとっては超難関の某高校の受験を主張。某私立大学附属高校に補欠合格したが,経済的に無理と家で言われた。それでも主張する公立高校を受験し,不合格となり,母とも担任の先生とも酷くぶつかった。卒業式に出て惨めな思いをし,親にも自分にも嫌気がさして厭世的になり,生きてたってしょうがない,死んでやる,と薬局屋で睡眠薬を買ってきて飲んだ。職業高校の二次募集があり,入試に合格し,行き場ができた。
職業高校生 勉強して大学へ行こうとこの職業高校に通ううち,普通科でないということで本校が嫌になり,専門教科や演習の授業が嫌でたまらなくなった。前述した強迫観念が起きてきた。夏休み後,高校の受け直しを決意し,再受験に友人を誘った(この友人は先生や親御さんの説得で再受験をやめた)。高校の担任の先生や中学の担任だった先生に決意を打ち明けて学校を休み,再受験を反対した親には学校へ行く振りをして都立の図書館に通い,再受験の勉強をした。
職業高校を退学し,図書館で勉強 高校の担任の先生に退学届をだしてほしいと言われ,親に事実を話し,退学届を提出した。同じ中学校出身のツッパリの同級生に駅前で呼び止められて頭突きをくらわされて鼻血を出した。そこを,出身中学の先生が強張った顔をして通り過ぎた。この時は相手が怖くて抵抗すらできなかった。親や教師に泣きつく,言う(密告する・垂れ込む)のは嫌だ,言ったら余計悪化する,と思っていた。
この時の感情や判断には,いじめで身についた萎縮性やプライド,精神的自立の過渡期の心性が強く作用している,と推察する。
普通高校生 再受験し,不合格となったが,普通高校の二次募集試験に合格し,この高校に入学。中学時代に私が恋をした女子同級生に勉強することを勧められ,猛勉をする“親友”に勉強の仕方を教えられた。大学受験の勉強,学業,同性の友だち,恋するガールフレンドとの付き合いの毎日を過ごしていくうちに,前述した強迫観念が意識にのぼらなくなった。
ツッパリ・非行化 歳上ということで,ある級友たちに,彼らとある先輩とのいざこざに引っ張り出されての決闘を機に,いじめに萎縮しないを通り越してツッパリ,非行にはしった。ボディビルをやり,空手の訓練をし,右手の握りこぶしの骨を正拳突きでつぶした。私をいじめた各々の同級生と,決闘する意志のもとに対峙し,彼らに深く謝罪されて許した。駅前アパートの空き地の枯れ草に放火したり,父親の愛人の店から高価な商品を持ち出して質入れしたりする,親に裏切られたある友人に前述の非行を諭したこともあった。私は放校処分となった。
前述してきたツッパリ・非行化には,いじめをされていじめっ子にびくびくしてきたことの“過補償”や,価値観,1年ダブっているということのひけ目などの作用も考えられよう。
転校以降の高校生 担任の先生が働いてくれて,ある先生のサポートもあり,親の借金で某大学附属高校へ転校できて理系のクラスに入った。校内英単語試験の得点・順位が幾度も廊下に張り出された。校内のツッパリ一派に級友へのいじめをやめさせた。数学,英語の成績が良く,数学の先生になりたいと思い,国立大学教育学部を受験したが不合格となった。
大学浪人 2年目の自宅浪人中,地域の床屋さんや兄の友達などから,なぜ働かないのかと説教をされ,自衛隊への入隊を勧められた。…の方々から息子さんは働かないで何しているのか,と言われる,受かりもしない受験をやめて仕事を…,と父から言われて,親のくせに,苦しい状態で頑張っている僕のことをわかろうともしない,…と,殺意のこもる憎悪にとらわれだした。家を離れようと思い,旅に出てアルバイトをし,国立大受験を続けた。時々,家に戻った。やくざグループから抜けようとして足をひっぱられたが,抜けて立ち直っていく若者や,親に捨てられて非行にはしり,立ち直った若者らとの出会いもあって自らの非行を反省しだした。
若者の役に立つ職業,若者の立ち直りの役に立つ職業に就きたいという気持ちが強まり,背水の陣を敷き,家に戻って勉強した。翌年,学力を考慮の上,国立大学教育学部を受験,合格し,入学した。
以上の事柄から,精神的自立の進む過渡期における私の固執傾向の生きたキャリアの歩みが明らかであろう。