13:30 〜 14:00
[T8-O-1] (招待講演)大地が生環境に与えたかたち
【ハイライト講演】
世話人よりハイライトの紹介:ユーラシアのプレート境界地域の居住様式を実見し,各地の建設行為は,人々が大地の諸条件を前提として作り上げようとすること-生環境の構築-とまとめられた.集落とはそこに人間が住まうことのできる空間(あきま)を作ることで,その空間を作る方法は大地が提供する素材(石,土,木)によって大きく異なる.これらは文明発生の原動力にもなった.また現代都市の構築素材の鋼は,産業革命と鉄鉱床に「地域」的な関連性があった. ※ハイライトとは
キーワード:プレートテクトニクス、生環境構築史
・はじめに
筆者は東日本大震災後の一年をかけてユーラシアのプレート境界地域の居住様式をインドネシアからモロッコに至るまで、インド、イラン、地中海などを含めて実見した。各地の建設行為は、人々が彼らの生存環境を、各大地の諸条件を前提として作り上げようとすること-生環境の構築-とまとめるに至った。その意味で集落とは大地をその皮一枚浮かして、そこに人間が住まうことのできる空間(あきま)を作ることと定義できる。その浮かせ方、要は空間を作る方法は大地が提供する素材によって大きく異なる。これが素材による生環境の構築方法の違いとなる。以下、代表的な、石、土、木についてその特徴をあげるが、同時に文明発生の原動力にもなったことも注目したい。
・芸術をも産んだ石灰岩
人類における空間利用の発生は風雨、河川、海流の侵食作用による横穴によって準備されたが、これを人類の主体的構築の側面より見た場合、空間の改変可能性が重要になる。その意味で原始期、人力による穴居住居は凝灰岩、シルト層などの掘削容易な岩盤層が主体となる。
さらに石を材として切り出し構築できる技術が進むと、その圧縮に対する力が期待されたが、一方で石梁のせん断に対する弱さは材の最適配置を意識させた。その結果古代ギリシャ比例学が発生した。石灰岩は人文芸術発展の土台となったという意味で最も重要である。その骨の成分にも似た同岩は成形の容易さによって細部に至るまでの作業を可能とし、人文的彫刻の発生を促したのだった(図)。
・文字をも発明した土
土は石に比べて二つの大きな違いがある。一つは採取場所であり、もう一つは構築方法である。土は山や段丘の侵食風化とともに、盆地、川沿いや、低地に開けた扇状地などに、堆積し地層化した。土は構築材料中最も遍在しているが、土を建築素材として用いるにはレンガという加工の発明を必要とした。土を型枠で整形し乾かし固めることで、組積することができるようになった。また焼成を加えれば、耐力は大幅に増した。レンガによる建築行為はジグラットの遺跡立地に代表されるようにメソポタミア周辺の低地で特に栄えたが、そこは同時に楔文字の発明地だった。これは紀元前30世紀ごろ発明された。生乾きの粘土板に葦のペンを押し付けることによって達成され、重要文書はその後焼成された。土を原料とした「ノート」は無尽蔵であった。
・共同性を生んだ木組
木造において、単独的な作業で可能なのは、地面に穴を掘って柱を立てる掘立柱である。しかし柱を長期的に残存させるための石場立てや壁等の垂直材を形作るには軸組構造を発展させることが不可欠であった。それによって木造建築には他の材料に比して小規模な建設行為にも、複数の人間による共同施工が必要となった。この特徴は特にアジア周辺の地域共同体成立に大きく関係したと予想される。
・古代都市の誕生
古代都市の普遍性を高めたのは紀元前後のローマ帝国であった。同帝国では侵略と各地の文明化を達成するため植民都市が現在のイギリス、東ヨーロッパ、地中海一帯、アフリカ北部にまで建設された。各都市では地域ごとに異なる大地条件を建設素材としながら、同種の機能を達成する技術活用がローマ帝国による生環境構築の真骨頂であった。石、土、木といった各地ごとの素材がそれぞれに動員された。特に火山灰由来のセメントと切石やレンガの残片を混ぜ合わせることで大規模構築体の建設を可能にしたコンクリート技術の発達は大きい。これまでの歴史によって人類は古代までに生環境構築のための基本的一覧を完成させた。
・鋼による生環境の構築
ここで一つ大きな謎が生まれた。それは生環境をつくりあげる素材としての鉄材の出自の謎である。現代都市の高層稠密を支える生環境構築は鉄素材が圧倒的な主体を占めている。この伝統的集落と現代的都市との構築素材のギャップはどこから発生したのか。圧延のできる鋼が、圧縮力を基本としていた生環境構築の方法を根底的に変えた。さらに鋼の生成は大地=地球との連関の中で他の素材に比べてより全球的な特徴を含んでいる。
北アメリカ大陸東海岸の同地域一帯は鉄の一大原料である縞状鉄鉱床を多く含むカレドニア、アパラチア山脈に属する約4億年前から形成された連続する山地に属している。現在、同地域はアイスランドを横断する大西洋中央海嶺によって遠く隔たっているが、実は現在の大陸配置が形作られる以前の4億年前には、その地域はイングランドを含む北部ヨーロッパと一体的関係をなしていた。つまり4億年前のプレート運動によって現れた鉄鉱床が産業革命様式に資源場として連結したのだ。それゆえ鋼による生環境構築は人類時間による地政では計り知ることのできない奥深い「地域」的連関性をその根底に宿していたのであった。
(図)ペルセポリス遺跡の謁見の間レリーフ(石灰岩)。現イラン・イスラム共和国
筆者は東日本大震災後の一年をかけてユーラシアのプレート境界地域の居住様式をインドネシアからモロッコに至るまで、インド、イラン、地中海などを含めて実見した。各地の建設行為は、人々が彼らの生存環境を、各大地の諸条件を前提として作り上げようとすること-生環境の構築-とまとめるに至った。その意味で集落とは大地をその皮一枚浮かして、そこに人間が住まうことのできる空間(あきま)を作ることと定義できる。その浮かせ方、要は空間を作る方法は大地が提供する素材によって大きく異なる。これが素材による生環境の構築方法の違いとなる。以下、代表的な、石、土、木についてその特徴をあげるが、同時に文明発生の原動力にもなったことも注目したい。
・芸術をも産んだ石灰岩
人類における空間利用の発生は風雨、河川、海流の侵食作用による横穴によって準備されたが、これを人類の主体的構築の側面より見た場合、空間の改変可能性が重要になる。その意味で原始期、人力による穴居住居は凝灰岩、シルト層などの掘削容易な岩盤層が主体となる。
さらに石を材として切り出し構築できる技術が進むと、その圧縮に対する力が期待されたが、一方で石梁のせん断に対する弱さは材の最適配置を意識させた。その結果古代ギリシャ比例学が発生した。石灰岩は人文芸術発展の土台となったという意味で最も重要である。その骨の成分にも似た同岩は成形の容易さによって細部に至るまでの作業を可能とし、人文的彫刻の発生を促したのだった(図)。
・文字をも発明した土
土は石に比べて二つの大きな違いがある。一つは採取場所であり、もう一つは構築方法である。土は山や段丘の侵食風化とともに、盆地、川沿いや、低地に開けた扇状地などに、堆積し地層化した。土は構築材料中最も遍在しているが、土を建築素材として用いるにはレンガという加工の発明を必要とした。土を型枠で整形し乾かし固めることで、組積することができるようになった。また焼成を加えれば、耐力は大幅に増した。レンガによる建築行為はジグラットの遺跡立地に代表されるようにメソポタミア周辺の低地で特に栄えたが、そこは同時に楔文字の発明地だった。これは紀元前30世紀ごろ発明された。生乾きの粘土板に葦のペンを押し付けることによって達成され、重要文書はその後焼成された。土を原料とした「ノート」は無尽蔵であった。
・共同性を生んだ木組
木造において、単独的な作業で可能なのは、地面に穴を掘って柱を立てる掘立柱である。しかし柱を長期的に残存させるための石場立てや壁等の垂直材を形作るには軸組構造を発展させることが不可欠であった。それによって木造建築には他の材料に比して小規模な建設行為にも、複数の人間による共同施工が必要となった。この特徴は特にアジア周辺の地域共同体成立に大きく関係したと予想される。
・古代都市の誕生
古代都市の普遍性を高めたのは紀元前後のローマ帝国であった。同帝国では侵略と各地の文明化を達成するため植民都市が現在のイギリス、東ヨーロッパ、地中海一帯、アフリカ北部にまで建設された。各都市では地域ごとに異なる大地条件を建設素材としながら、同種の機能を達成する技術活用がローマ帝国による生環境構築の真骨頂であった。石、土、木といった各地ごとの素材がそれぞれに動員された。特に火山灰由来のセメントと切石やレンガの残片を混ぜ合わせることで大規模構築体の建設を可能にしたコンクリート技術の発達は大きい。これまでの歴史によって人類は古代までに生環境構築のための基本的一覧を完成させた。
・鋼による生環境の構築
ここで一つ大きな謎が生まれた。それは生環境をつくりあげる素材としての鉄材の出自の謎である。現代都市の高層稠密を支える生環境構築は鉄素材が圧倒的な主体を占めている。この伝統的集落と現代的都市との構築素材のギャップはどこから発生したのか。圧延のできる鋼が、圧縮力を基本としていた生環境構築の方法を根底的に変えた。さらに鋼の生成は大地=地球との連関の中で他の素材に比べてより全球的な特徴を含んでいる。
北アメリカ大陸東海岸の同地域一帯は鉄の一大原料である縞状鉄鉱床を多く含むカレドニア、アパラチア山脈に属する約4億年前から形成された連続する山地に属している。現在、同地域はアイスランドを横断する大西洋中央海嶺によって遠く隔たっているが、実は現在の大陸配置が形作られる以前の4億年前には、その地域はイングランドを含む北部ヨーロッパと一体的関係をなしていた。つまり4億年前のプレート運動によって現れた鉄鉱床が産業革命様式に資源場として連結したのだ。それゆえ鋼による生環境構築は人類時間による地政では計り知ることのできない奥深い「地域」的連関性をその根底に宿していたのであった。
(図)ペルセポリス遺跡の謁見の間レリーフ(石灰岩)。現イラン・イスラム共和国