14:45 〜 15:00
[T8-O-5] 地質状況に適したシシ垣型式の選定 -沖縄県大宜味村の猪垣を例に-
【ハイライト講演】
世話人よりハイライトの紹介:古来よりイノシシやシカなどの野生動物の耕地への侵入を防ぐバリアーとして用いられたシシ垣遺構が残る沖縄県大宜味村において,シシ垣の型式と地質状況との関係についての発表である.総延長31kmの「十里の長城」と呼ばれていたシシ垣遺構がルート上の地質と深くかかわっていることは,先人が知恵を絞った痕跡を示す.現在なお深刻化している獣害被害への対策を示す指標となるかもしれない.※ハイライトとは
キーワード:石塁、土塁、イノシシ、沖縄、名護層、与那嶺層、大宜味村
はじめに
古来より人々は,イノシシやシカなどの野生動物から田畑の作物を守るために知恵を絞ってきた.その手段には,追い払いや狩猟による害獣の駆除のほか,本稿で紹介するシシ垣がある.シシ垣は野生動物の耕地への侵入を防ぐバリアーであり,現代では電気柵や鋼製柵が用いられているが,伝統的なシシ垣は,石塁や土塁,木柵などであった(高橋春成編,2010).今回,伝統的なシシ垣遺構が残る沖縄県大宜味村において,シシ垣の型式と地質状況との関係を整理した.
シシ垣の型式
国内に残る伝統的なシシ垣は,数年で朽ちる木柵を除き,石塁,土塁,切土などの人工物のほか,大岩や岩壁などの自然物を用いたものがある.石塁は石を1~2mの高さ積み上げたもので,筬島(2016)は,長崎県西彼杵半島のシシ垣の石塁を石積,盛土,堀切と,それらの組み合わせで4タイプに区分している.土塁は掘削した土を傍らに盛り上げた型式が多く,土塁築造の省力化の工夫がみられる.また,斜面を急こう配で掘削した切土のシシ垣もある.シシ垣築造の労力を省くために,大岩や岩壁などの自然物をシシ垣として利用し,それらを石塁で接続する例も多々ある.
大宜味村の地質と猪垣(ヤマシシガキ)の型式
大宜味村は沖縄島北部の西海岸に位置し,山岳地帯が多く西側を海に接する.中江ほか(2010)によると,大宜味村の先新第三系は,石灰岩や緑色岩から成る前期白亜紀の与那嶺層と,泥質千枚岩や粘板岩,緑色岩から成る後期白亜紀の名護層が分布している.名護層の泥質千枚岩などは,沢部では新鮮~弱風化した岩石が地表に露出するが,尾根部では均質に深部まで強風化し,国頭マージと呼ばれる赤土となる.このため名護層の分布域の尾根部では地表の転石は少ない.
大宜味村の猪垣は集落と耕地を取り囲むように連続し,かつては総延長31kmが築かれ「十里の長城」と呼ばれていた(大宜味村教育委員会,1994).大宜味村教育委員会は猪垣の総延長13.0kmを確認し,石塁,土塁,切土,堀切などの型式を報告している.猪垣は1787年にはその補修に関する記録が残っているので,それ以前にシシ垣が構築されたことは明らかである.当時,沖縄ではサツマイモが広く栽培され沖縄の人口を支えていたが,サツマイモはイノシシの好物でもあった.猪垣は主にサツマイモをイノシシから守り,1952~1953年の補修記録があることから,少なくとも1955年頃までは使用された.しかし,山腹まで広がっていた耕地は次第に耕作を放棄され山林へと変わり,猪垣は現在その役目を終えてひっそりと山中に眠っている.大宜味村は先人のイノシシとの戦いを称え,猪垣の一部区間を村の文化財に指定して保護している.
猪垣はルートの地質状況によって型式が異なっている.石灰岩の石材が豊富な与那嶺層の石灰岩地帯では,高さ1.2~1.5mの石塁(写真)が多く造られている.また,石灰岩の岩壁や巨石をシシ垣として利用している区間もある.これに対して名護層や与那嶺層の緑色岩の分布域では,石材が入手できる沢では石塁がみられるが,尾根の強風化部では石材の入手が困難であるため,掘削による盛土や切土,堀切が猪垣として用いられている.大宜味村の猪垣は,岩壁や大岩を用いることで省力化を図り,石材が入手できるところでは石塁を,そうでないところでは盛土や切土,堀切を造るなど様々な型式があり,地質状況に応じた設計者の工夫がみられる.
引用文献
大宜味村教育委員会(1994),大宜味村文化財調査報告書第3集 大宜味村の猪垣-猪垣調査報告書-, 46p.
高橋春成編(2010), 日本のシシ垣 - イノシシ・シカの被害から田畑を守ってきた文化遺産, 古今書院, 358p.
中江ほか(2010),20万分の1地質図幅「与論島及び那覇」,地質調査総合センター.
筬島聖二(2016),号外地球―総特集―文化地質学,63-75.
古来より人々は,イノシシやシカなどの野生動物から田畑の作物を守るために知恵を絞ってきた.その手段には,追い払いや狩猟による害獣の駆除のほか,本稿で紹介するシシ垣がある.シシ垣は野生動物の耕地への侵入を防ぐバリアーであり,現代では電気柵や鋼製柵が用いられているが,伝統的なシシ垣は,石塁や土塁,木柵などであった(高橋春成編,2010).今回,伝統的なシシ垣遺構が残る沖縄県大宜味村において,シシ垣の型式と地質状況との関係を整理した.
シシ垣の型式
国内に残る伝統的なシシ垣は,数年で朽ちる木柵を除き,石塁,土塁,切土などの人工物のほか,大岩や岩壁などの自然物を用いたものがある.石塁は石を1~2mの高さ積み上げたもので,筬島(2016)は,長崎県西彼杵半島のシシ垣の石塁を石積,盛土,堀切と,それらの組み合わせで4タイプに区分している.土塁は掘削した土を傍らに盛り上げた型式が多く,土塁築造の省力化の工夫がみられる.また,斜面を急こう配で掘削した切土のシシ垣もある.シシ垣築造の労力を省くために,大岩や岩壁などの自然物をシシ垣として利用し,それらを石塁で接続する例も多々ある.
大宜味村の地質と猪垣(ヤマシシガキ)の型式
大宜味村は沖縄島北部の西海岸に位置し,山岳地帯が多く西側を海に接する.中江ほか(2010)によると,大宜味村の先新第三系は,石灰岩や緑色岩から成る前期白亜紀の与那嶺層と,泥質千枚岩や粘板岩,緑色岩から成る後期白亜紀の名護層が分布している.名護層の泥質千枚岩などは,沢部では新鮮~弱風化した岩石が地表に露出するが,尾根部では均質に深部まで強風化し,国頭マージと呼ばれる赤土となる.このため名護層の分布域の尾根部では地表の転石は少ない.
大宜味村の猪垣は集落と耕地を取り囲むように連続し,かつては総延長31kmが築かれ「十里の長城」と呼ばれていた(大宜味村教育委員会,1994).大宜味村教育委員会は猪垣の総延長13.0kmを確認し,石塁,土塁,切土,堀切などの型式を報告している.猪垣は1787年にはその補修に関する記録が残っているので,それ以前にシシ垣が構築されたことは明らかである.当時,沖縄ではサツマイモが広く栽培され沖縄の人口を支えていたが,サツマイモはイノシシの好物でもあった.猪垣は主にサツマイモをイノシシから守り,1952~1953年の補修記録があることから,少なくとも1955年頃までは使用された.しかし,山腹まで広がっていた耕地は次第に耕作を放棄され山林へと変わり,猪垣は現在その役目を終えてひっそりと山中に眠っている.大宜味村は先人のイノシシとの戦いを称え,猪垣の一部区間を村の文化財に指定して保護している.
猪垣はルートの地質状況によって型式が異なっている.石灰岩の石材が豊富な与那嶺層の石灰岩地帯では,高さ1.2~1.5mの石塁(写真)が多く造られている.また,石灰岩の岩壁や巨石をシシ垣として利用している区間もある.これに対して名護層や与那嶺層の緑色岩の分布域では,石材が入手できる沢では石塁がみられるが,尾根の強風化部では石材の入手が困難であるため,掘削による盛土や切土,堀切が猪垣として用いられている.大宜味村の猪垣は,岩壁や大岩を用いることで省力化を図り,石材が入手できるところでは石塁を,そうでないところでは盛土や切土,堀切を造るなど様々な型式があり,地質状況に応じた設計者の工夫がみられる.
引用文献
大宜味村教育委員会(1994),大宜味村文化財調査報告書第3集 大宜味村の猪垣-猪垣調査報告書-, 46p.
高橋春成編(2010), 日本のシシ垣 - イノシシ・シカの被害から田畑を守ってきた文化遺産, 古今書院, 358p.
中江ほか(2010),20万分の1地質図幅「与論島及び那覇」,地質調査総合センター.
筬島聖二(2016),号外地球―総特集―文化地質学,63-75.