日本地質学会第129年学術大会

講演情報

セッション口頭発表

T8.[トピック]文化地質学

[1oral512-18] T8.[トピック]文化地質学

2022年9月4日(日) 13:30 〜 15:30 口頭第5会場 (14号館402教室)

座長:大友 幸子、石橋 弘明(なし)

15:15 〜 15:30

[T8-O-7] 宮沢賢治「台川」の地質概説

*大友 幸子1、赤坂 真奈2 (1. 山形大学、2. 株式会社大共ホーム)

キーワード:宮沢賢治、台川、地質巡検

宮沢賢治の「台川」は,現在の花巻市郊外の台川中流部で巡検を行なっている様子を描いた作品である.宮城(1975)は賢治が農学校の生徒とともにおこなった“地質巡検”の記録であると述べている.台川沿い,釜渕の滝(図2)周辺の地質を調べ,作品「台川」の舞台になった地域の地質の概要について述べる. 「台川」の書き出しは、集合場所から始まる.どこまで行くのかを聞かれて,[釜淵まで,一寸30分ばかり]という冒頭の文章からこの集合場所は,釜渕の滝から約2kmの花巻郊外の河成扇状地上と考えられる.北上低地帯西側に見られる河成扇状地は,奥羽山脈東縁の断層帯の活動により隆起する山地から流下した河川が形成した扇状地性の河川段丘面で,谷口から東側に扇状に広がっている(岩手県1975;渡辺,2005など).扇状地を登りながら,賢治は山地と北上低地帯の地形や地質について生徒に説明している.特に,流紋岩質火砕岩,安山岩質集塊岩の地質による土壌の違いから,植生の違いを説明している.釜渕の滝周辺の台川沿いには, 軽石質凝灰岩,火山礫凝灰岩,流紋岩が分布している.軽石質凝灰岩や火山礫凝灰岩は、層状や無層理の岩相がみられる(図3).数mm〜1cmの軽石は繊維状で、火山礫は流紋岩および石英・斜長石の結晶片からなる.この凝灰岩層は,北村(1986)では中部中新統男助層(男助凝灰岩)で,雫石盆地の南東縁に分布するデイサイト質の海底下の火砕流堆積物である.大上ほか(1990)では,猪去沢層の中位に挟まれる男助部層でデイサイト質軽石凝灰角礫岩からなり,花巻温泉周辺はドーム状構造がみられるため層厚が700m以上と見積もられている. また数m〜数10mの流紋岩が月見橋周辺から滝不動尊にかけて凝灰岩に挟まれている.凝灰岩中には流紋岩の火山礫が含まれることや,ハイアロクラスタイトもみられることから,海底に噴出した溶岩と推定される.流紋岩は流理構造の発達した岩相、塊状岩相、ガラス質岩相が見られる.これらの岩相の流紋岩は火山礫凝灰岩の岩片として凝灰岩中に含まれている.海底に噴出した流紋岩溶岩が水冷破砕して凝灰岩の火山礫として含まれているように見える. 図1は谷口の花巻温泉紅葉館の4階から見える,台川対岸の大露頭である.生徒への説明で〔向ふの崖をごらんなさい.黒く少し浮き出した柱のやうな岩があるでせう.あれは水成岩の割れ目に押し込んできた火山岩です.黒曜岩です.〕と言う部分がある.この説明にある崖は,対岸の大露頭と考えられる.この大露頭は,大正2年即図の国土地理院5万分の一「花巻」や,昭和6年花巻温泉パンフレットより転写された吉田初三郎画(花巻温泉豆菓子はなまめの箱裏掲載)にも描かれており,この露頭の調査を行ったところ,対岸から黒色に見える部分を含めてすべてが軽石凝灰岩であった. 大正10年(1921年)12月に賢治は郡立稗貫農学校教諭になっている[URL1].大正12年(1923年)に台温泉からの引湯で花巻温泉が開湯しており[URL2]、大正4年発行と大正14年鉄道補入の国土地理院地図(5万分の1花巻)を比べると、現在の花巻温泉の道や家屋の分布が大きく改変している.作品「台川」の舞台は,まだ花巻温泉の開湯前の時期のではないかと考えられる.
引用文献 岩手県(1975)土地分類基本調査,岩手県,39p.北村 信(1986)アーバンクボタ No.26,特集「酸性硫酸塩土壌」,株式会社クボタ,26-31.宮城一男(1975)農民の地学者 宮沢賢治,築地書館,159−168.大上和良ほか(1990)地球科学, 44, 245-262.渡辺満久 (2005)日本の地形 3 東北,東京大学出版会,105-114.[URL1]花巻商工会議所賢治・星めぐりの街づくり推進協議会,“宮沢賢治関連年表” .http://www.harnamukiya.com/index.html, (参照2022.1.30).[URL2]花巻温泉株式会社,“花巻温泉ヒストリー・沿革” . https://www.hanamakionsen.co.jp/corporate/company/#history,(参照 2022.1.30).