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[G5-O-7] 長崎県五島列島中通島有川層の海底地滑り堆積物とそのテクトニックな意義
キーワード:海底地滑り堆積物、火砕流堆積物
九州北西沖合の五島列島は、延長約100 kmの北東-南西に連なる主要な5つの島とその他の小島から構成されている。列島の主体を成すのは、中新世中〜後期の非海成の五島層群とそれを不整合に覆う中通島層群、およびそれらと準同時に活動した火山岩、半深成岩類である。福江島と小値賀島には第四紀に活動した単成火山群が分布している。五島列島は日本海拡大時の回転のピボット軸の直ぐ北東に位置し、大陸地殻が割れ、背弧海盆が形成された初期のプロセスを記録していることが考えられる。しかし海岸は急崖が多く、アクセスできる露頭が限られることや年代測定データが限られていることなどから、日本海拡大時の五島列島のテクトニクスや火山活動に伴う堆積作用が充分に解明されているとは言い難い。
演者らは、中通島層群の築地部層の細粒砂岩層と岩瀬浦部層の流紋岩質火砕流堆積物の巨大地滑り岩塊および神ノ浦部層の泥岩が、乱雑に混在している露頭を発見し、それらを流紋岩質火砕流の噴火・運搬活動により海底地滑りが発生し、それぞれが混在したものと解釈した。中通島中央部の神ノ浦採石場の巨大地滑り堆積物の露頭の写真を、地質学会の写真コンテストに応募したところ、幸いに会長賞を頂くことができたが、一方で演者らの解釈に対し“その混在岩はメランジュではないのか?”という疑問が投げかけられた。そこで本発表では、乱雑な混在岩相の堆積物の特徴を報告し、メランジュではないと結論した根拠について議論する。またこのような火砕流堆積物が崩壊して形成された混在岩相のテクトニックな意義を議論する。
本露頭は海岸線にほぼ平行な東西方向約150m、高さ約130mの南側に面した大露頭である。黒色の細粒砂岩層に白色の流紋岩質火砕流堆積物の不定形な地滑り岩塊が乱雑に堆積している。火砕流堆積物は嘴状、くの字状に地層面に沿って剥がれ、そこに黒色砂岩が注入している。また両層の不定形の岩塊が、複雑に入り混じっている部分もある。スランプ岩塊は定向配列しておらず、基質に相当する細粒砂岩や泥岩には鱗片状の劈開や小断層を欠き、堆積後に剪断変形を受けた小構造は認められない。
流紋岩質火砕流堆積物は直径10cm程度の岩片、50cmを越える軽石ブロックおよび鉱物粒子や火山灰より構成され、10cm程度の泥岩の侵食偽礫を含む。岩片は変質作用を受け、有色鉱物は緑簾石や緑泥石に置き換わっている。溶結構造はきわめて限られた地点にのみ見られる。
細粒砂岩層は黒色塊状で無層理である。多量の白色の鉱物粒子や軽石片、泥岩を含む。細粒砂岩層からはかつて少量ではあるが石炭を採掘し、海棲貝化石を産出したという報告がある(鎌田、1966)。局所的であるが、この細粒砂岩層には五島層群由来の円磨度の低い砂岩や砂岩泥岩互層の礫が含まれる。礫径は数10cm程度のものが多いが、10m x 5mを越える巨大なブロック状のものもある。これらの礫も海底地滑りによって運搬されと考えられる。
広域の調査によると岩瀬浦部層の火砕流堆積物は、場所毎に下位の地層との層序関係が異なり、水平方向にも垂直方向にも岩相変化が著しいことが報告されている(川原他、1984)。下位の神ノ浦部層は泥岩を主体とし、海棲貝化石を産出し、その模式地では岩瀬浦部層の火砕流堆積物が整合的に堆積している。しかし、若松町男鹿島では神ノ浦部層を欠き、その下位の築地部層の砂質泥岩との境界は擾乱されている。このような地層の欠如や著しい岩相変化は、火砕流の堆積と準同時に発生した海底地滑りが原因である可能性が考えられる。
五島層群は非海成層であり、その直上の中通島層群有川層は基底礫岩と溶結した火砕流堆積物から成るが、神ノ浦部層は内湾性群集からなる海棲貝化石を産する厚い海成層から構成されている。恐らく大陸地殻に割れ目が発生して形成された地溝に海が侵入し、海成の神ノ浦層が堆積した時に、大規模な火山活動があり、岩瀬浦部層の火砕流堆積物が形成されたものと思われる。この火山活動に伴って巨大な海底地滑りが発生し、その結果3つの部層が崩壊、再堆積し混在岩が形成されたものと推定される。
引用文献
鎌田泰彦(1966):五島列島若松島の地質,長崎大学学芸学部自然科学研究報告,17,55-64.
川原和博・塚原俊一・田島俊彦・鴨川信行(1984):五島列島中通島の後期中新世火成活動,地質学論集,no.24,77-91.
演者らは、中通島層群の築地部層の細粒砂岩層と岩瀬浦部層の流紋岩質火砕流堆積物の巨大地滑り岩塊および神ノ浦部層の泥岩が、乱雑に混在している露頭を発見し、それらを流紋岩質火砕流の噴火・運搬活動により海底地滑りが発生し、それぞれが混在したものと解釈した。中通島中央部の神ノ浦採石場の巨大地滑り堆積物の露頭の写真を、地質学会の写真コンテストに応募したところ、幸いに会長賞を頂くことができたが、一方で演者らの解釈に対し“その混在岩はメランジュではないのか?”という疑問が投げかけられた。そこで本発表では、乱雑な混在岩相の堆積物の特徴を報告し、メランジュではないと結論した根拠について議論する。またこのような火砕流堆積物が崩壊して形成された混在岩相のテクトニックな意義を議論する。
本露頭は海岸線にほぼ平行な東西方向約150m、高さ約130mの南側に面した大露頭である。黒色の細粒砂岩層に白色の流紋岩質火砕流堆積物の不定形な地滑り岩塊が乱雑に堆積している。火砕流堆積物は嘴状、くの字状に地層面に沿って剥がれ、そこに黒色砂岩が注入している。また両層の不定形の岩塊が、複雑に入り混じっている部分もある。スランプ岩塊は定向配列しておらず、基質に相当する細粒砂岩や泥岩には鱗片状の劈開や小断層を欠き、堆積後に剪断変形を受けた小構造は認められない。
流紋岩質火砕流堆積物は直径10cm程度の岩片、50cmを越える軽石ブロックおよび鉱物粒子や火山灰より構成され、10cm程度の泥岩の侵食偽礫を含む。岩片は変質作用を受け、有色鉱物は緑簾石や緑泥石に置き換わっている。溶結構造はきわめて限られた地点にのみ見られる。
細粒砂岩層は黒色塊状で無層理である。多量の白色の鉱物粒子や軽石片、泥岩を含む。細粒砂岩層からはかつて少量ではあるが石炭を採掘し、海棲貝化石を産出したという報告がある(鎌田、1966)。局所的であるが、この細粒砂岩層には五島層群由来の円磨度の低い砂岩や砂岩泥岩互層の礫が含まれる。礫径は数10cm程度のものが多いが、10m x 5mを越える巨大なブロック状のものもある。これらの礫も海底地滑りによって運搬されと考えられる。
広域の調査によると岩瀬浦部層の火砕流堆積物は、場所毎に下位の地層との層序関係が異なり、水平方向にも垂直方向にも岩相変化が著しいことが報告されている(川原他、1984)。下位の神ノ浦部層は泥岩を主体とし、海棲貝化石を産出し、その模式地では岩瀬浦部層の火砕流堆積物が整合的に堆積している。しかし、若松町男鹿島では神ノ浦部層を欠き、その下位の築地部層の砂質泥岩との境界は擾乱されている。このような地層の欠如や著しい岩相変化は、火砕流の堆積と準同時に発生した海底地滑りが原因である可能性が考えられる。
五島層群は非海成層であり、その直上の中通島層群有川層は基底礫岩と溶結した火砕流堆積物から成るが、神ノ浦部層は内湾性群集からなる海棲貝化石を産する厚い海成層から構成されている。恐らく大陸地殻に割れ目が発生して形成された地溝に海が侵入し、海成の神ノ浦層が堆積した時に、大規模な火山活動があり、岩瀬浦部層の火砕流堆積物が形成されたものと思われる。この火山活動に伴って巨大な海底地滑りが発生し、その結果3つの部層が崩壊、再堆積し混在岩が形成されたものと推定される。
引用文献
鎌田泰彦(1966):五島列島若松島の地質,長崎大学学芸学部自然科学研究報告,17,55-64.
川原和博・塚原俊一・田島俊彦・鴨川信行(1984):五島列島中通島の後期中新世火成活動,地質学論集,no.24,77-91.