13:15 〜 13:30
[S15-02] 1923年関東大震災の復興初期段階における東京市の被災者動向
通常、大震災が発生すれば、多くの人々が被災し、家屋を失い、自力ですぐに再建できる人もあるが、多くはすぐには難しく、ある人は親戚知人を頼って他所へ避難し、ある人は公助による仮設住宅に身を寄せ、それぞれ再起を期すことになる。約100年前に発生した関東大震災は当時のGNPの36.7%もの被害を出したが、そのようななかで被災者はどのような道筋をたどって再起したのか。復興の初期段階における被災者の動向を量的につかむために、震災直後の調査結果や従来の研究成果を利用して、被害が最も大きい東京市について検討した。
東京市(1925)『震災に因る日本の損失』によれば、震災地の1府6県(東京府と神奈川・千葉・埼玉・静岡・山梨・茨城の各県)の罹災者は約340万人、69万世帯に及んでいる。震災時の東京市の人口は約227万人でそのうち罹災者は170万人(約75%)である。このうち死者数(行方不明者も含む)は6万8660人であるので、罹災現存者は約163万人ということになる。
震災当日の市内の主な避難地の避難者数を『東京震災録』中輯(1926)から拾うと、合計で約169万人となり、先に示した罹災現存者数とほぼ同数となる。もちろんデータの性格上、精度の問題も多分にあるが、当日に限って言えば、火災による被災がほとんどであることもあり、罹災者のほぼ全てが安全な場所に避難せざるを得ず、かつ罹災者はこれら周辺の大公園などの空き地に避難するのが精いっぱいであったことがわかる。
次に、罹災現存者約163万人の内訳は全焼、全潰のほかに半焼、半潰、破損(流失はゼロ)など様々であるが、そのうち全焼・全潰世帯の30万5146世帯(約143万人)をここでは家屋喪失世帯と仮定する。ただし、この中にも死者・行方不明者が含まれており、かつ諸井・武村(2004)『日本地震工学会論文集』第4巻が指摘しているように死者の大半は焼死であることから、ここではさらに死者・行方不明者の全員が家を失っていたと仮定して、実際に生存していて家を失った人(家屋喪失生存者)の数を求めると136万2494人となる。これは罹災現存者の約83%に達する。
政府の政策もあり、これらの人々の多くは、市外(東京府下や他府県)へ避難した。11月15日時点で全国一斉に行われた人口調査の結果を内務省社会局(1924)『震災調査報告』から引用すると、東京市からの避難者は66万9363人と推定され、さらに東京市内の罹災現存者は約102万人であることがわかる。東京府下や他府県へ避難するほどであるから、全てが家を失った人だと見なすと、先に求めた東京市全体の家屋喪失生存者数から、この数を差し引いて、11月15日時点での市内残留の家屋喪失者数を求めると、69万3131人となる。他府県へ避難する人のすべてが家屋喪失者であるとの仮定がやや過大であるとすれば、市内残留家屋喪失者は69万人以上ということになる。これは、罹災現存者約102万人の実に68%にあたる。
これらの人々に対して、どのくらい公的な仮設住宅(当時は公設バラック)が準備されたかについては、11月15日現在での東京市における公設バラック数の調査結果が東京市役所調査課(1924)『東京市震災状況概要』にある。それによれば、公設バラック数は2万1507世帯(8万5996人)分あったことがわかる。大きく見積っても12.6%の人しか公設バラックの恩恵に浴していなかったということになる。阪神淡路大震災など最近の地震の家屋の全壊・半壊数に対する仮設住宅の供給戸数が2-3割であると言われている[国土交通省住宅局住宅生産課(2012)]のと比較しても、その供給量の少なさがよくわかる。
東京市(1925)『震災に因る日本の損失』によれば、震災地の1府6県(東京府と神奈川・千葉・埼玉・静岡・山梨・茨城の各県)の罹災者は約340万人、69万世帯に及んでいる。震災時の東京市の人口は約227万人でそのうち罹災者は170万人(約75%)である。このうち死者数(行方不明者も含む)は6万8660人であるので、罹災現存者は約163万人ということになる。
震災当日の市内の主な避難地の避難者数を『東京震災録』中輯(1926)から拾うと、合計で約169万人となり、先に示した罹災現存者数とほぼ同数となる。もちろんデータの性格上、精度の問題も多分にあるが、当日に限って言えば、火災による被災がほとんどであることもあり、罹災者のほぼ全てが安全な場所に避難せざるを得ず、かつ罹災者はこれら周辺の大公園などの空き地に避難するのが精いっぱいであったことがわかる。
次に、罹災現存者約163万人の内訳は全焼、全潰のほかに半焼、半潰、破損(流失はゼロ)など様々であるが、そのうち全焼・全潰世帯の30万5146世帯(約143万人)をここでは家屋喪失世帯と仮定する。ただし、この中にも死者・行方不明者が含まれており、かつ諸井・武村(2004)『日本地震工学会論文集』第4巻が指摘しているように死者の大半は焼死であることから、ここではさらに死者・行方不明者の全員が家を失っていたと仮定して、実際に生存していて家を失った人(家屋喪失生存者)の数を求めると136万2494人となる。これは罹災現存者の約83%に達する。
政府の政策もあり、これらの人々の多くは、市外(東京府下や他府県)へ避難した。11月15日時点で全国一斉に行われた人口調査の結果を内務省社会局(1924)『震災調査報告』から引用すると、東京市からの避難者は66万9363人と推定され、さらに東京市内の罹災現存者は約102万人であることがわかる。東京府下や他府県へ避難するほどであるから、全てが家を失った人だと見なすと、先に求めた東京市全体の家屋喪失生存者数から、この数を差し引いて、11月15日時点での市内残留の家屋喪失者数を求めると、69万3131人となる。他府県へ避難する人のすべてが家屋喪失者であるとの仮定がやや過大であるとすれば、市内残留家屋喪失者は69万人以上ということになる。これは、罹災現存者約102万人の実に68%にあたる。
これらの人々に対して、どのくらい公的な仮設住宅(当時は公設バラック)が準備されたかについては、11月15日現在での東京市における公設バラック数の調査結果が東京市役所調査課(1924)『東京市震災状況概要』にある。それによれば、公設バラック数は2万1507世帯(8万5996人)分あったことがわかる。大きく見積っても12.6%の人しか公設バラックの恩恵に浴していなかったということになる。阪神淡路大震災など最近の地震の家屋の全壊・半壊数に対する仮設住宅の供給戸数が2-3割であると言われている[国土交通省住宅局住宅生産課(2012)]のと比較しても、その供給量の少なさがよくわかる。