13:45 〜 14:00
[S10-02] 1923年大正関東地震後の日記記録における有感距離の検討
歴史地震について,実際に発生した地震がどの程度歴史記録に残されているのだろうか.過去の地震活動を分析する際には,記録の完全性を考慮する必要があり,実際に発生した地震がどの程度歴史記録に残されているのかを把握しておく必要がある.そのためには,歴史記録と観測記録のそれぞれによる地震発生数の比較がひとつの手がかりになる.歴史記録と,異なる時代の観測記録での地震数を比較した例としてSatake and Ishibe(2020)が挙げられる.石辺・ほか(2023)は,日記記録の中の昼夜間の記録数の比較から,記録の完全性の検討を行った.また,同時代の歴史記録と観測記録を比較した事例として,天候記録としての記録ではあるが,庄・ほか(2017)がある.天候記録であれば,記録数が多いため同時代の日記や観測記録との間で統計的な比較が可能である.一方で地震は天候記録と比較して記録数が少なく,統計的な比較が難しい.大正関東地震の直後であれば,既に地震観測が開始しており,日記記録と観測記録の両方が存在する上,地震数も多いことに着目した.本研究では,1923年大正関東地震後の地震について,同時代の日記記録と観測記録との比較を行う.
本研究で用いた日記記録としては,『河合清方日記』(静岡県富士宮市),『地福寺日並記』(埼玉県和光市),『大正十二年震災日誌』(東京都新宿区)などが挙げられる.『河合清方日記』は,富士浅間神社の主典を務めた河合清方による日記である.第17輯に「大震災の記」があり,大正12年9月1日から12月31日までの地震にかかわることが記録されている[武村(1999)].『地福寺日並記』は当時地福寺の住職であった鎌田亮中による日記で,1890年7月から1924年8月までの記録が存在する[中岡(2015)].『大正十二年震災日誌』は当時林野局に勤めていた依田美狭古による記録で,大正関東地震当時の日記を後年(1927年)に取りまとめたものである.なお,『河合清方日記』については,武村(1999)で日記中の余震記録と浜田(1999)の震源リストとの比較がなされている.観測記録としては気象庁震度データベースに収録された地震カタログなどが挙げられる.また,観測記録に準ずるデータとしては『関東大地震姥子ニ於ケル震動日記』(神奈川県足柄下郡箱根町)が挙げられる.この日記は本震発生日の9月1日から10月14日にかけて,箱根での有感地震を強さごとに強震,弱震,微震に分類し記録したものである.
大きな地震は複数の日記に記録されやすい傾向にある.最大余震である1924年1月15日の丹沢地震(M7.3)をはじめ,M4.8以上の8つの地震では複数の日記中に対応する記述が見られた.また,本震からの日数の経過に伴う余震記録の減少が見られる.ただし,これは単に大森・宇津則で表されるような余震数の減少を反映しているだけではなく,地震の経験を日記に記録するモチベーションに変化があった可能性もある.
気象庁震度データベース中の震源・マグニチュードが決定されている地震について,各日記の記録地点から震央距離を求め,日記の記述における有感距離の検討を行った.例えば,『地福寺日並記』では,マグニチュード5で90km程度,マグニチュード6で180km程度となった.有感距離を調べることにより,日記記述の有無の妥当性を検討することができる.具体的には,日記中に記述が存在しない地震について,昼夜の違いや記録のモチベーションの変化などが原因であるものと,その地点では有感にならない地震であることが原因であるものを区別することが可能となる.また,日記ごとの最大有感距離の違いから,日記記録の特徴を検討することも可能である.さらに,日記記録中の地震の規模,震央の推定にも利用できる可能性がある.
本研究で用いた日記記録としては,『河合清方日記』(静岡県富士宮市),『地福寺日並記』(埼玉県和光市),『大正十二年震災日誌』(東京都新宿区)などが挙げられる.『河合清方日記』は,富士浅間神社の主典を務めた河合清方による日記である.第17輯に「大震災の記」があり,大正12年9月1日から12月31日までの地震にかかわることが記録されている[武村(1999)].『地福寺日並記』は当時地福寺の住職であった鎌田亮中による日記で,1890年7月から1924年8月までの記録が存在する[中岡(2015)].『大正十二年震災日誌』は当時林野局に勤めていた依田美狭古による記録で,大正関東地震当時の日記を後年(1927年)に取りまとめたものである.なお,『河合清方日記』については,武村(1999)で日記中の余震記録と浜田(1999)の震源リストとの比較がなされている.観測記録としては気象庁震度データベースに収録された地震カタログなどが挙げられる.また,観測記録に準ずるデータとしては『関東大地震姥子ニ於ケル震動日記』(神奈川県足柄下郡箱根町)が挙げられる.この日記は本震発生日の9月1日から10月14日にかけて,箱根での有感地震を強さごとに強震,弱震,微震に分類し記録したものである.
大きな地震は複数の日記に記録されやすい傾向にある.最大余震である1924年1月15日の丹沢地震(M7.3)をはじめ,M4.8以上の8つの地震では複数の日記中に対応する記述が見られた.また,本震からの日数の経過に伴う余震記録の減少が見られる.ただし,これは単に大森・宇津則で表されるような余震数の減少を反映しているだけではなく,地震の経験を日記に記録するモチベーションに変化があった可能性もある.
気象庁震度データベース中の震源・マグニチュードが決定されている地震について,各日記の記録地点から震央距離を求め,日記の記述における有感距離の検討を行った.例えば,『地福寺日並記』では,マグニチュード5で90km程度,マグニチュード6で180km程度となった.有感距離を調べることにより,日記記述の有無の妥当性を検討することができる.具体的には,日記中に記述が存在しない地震について,昼夜の違いや記録のモチベーションの変化などが原因であるものと,その地点では有感にならない地震であることが原因であるものを区別することが可能となる.また,日記ごとの最大有感距離の違いから,日記記録の特徴を検討することも可能である.さらに,日記記録中の地震の規模,震央の推定にも利用できる可能性がある.