9:30 AM - 9:45 AM
[S23-03] Characteristics of seismicity around the August 8, 2024 Hyuga-nada earthquake (M7.1) and possible future scenarios
2024年8月8日16時42分に宮崎市沖の日向灘でMJ7.1(Mw7.0)の地震が発生した.宮崎市沖の領域は,M7前後のプレート境界地震が1931年,1961年,1996年と約30年間隔で繰り返し発生してきており(1899年M7.1もあるが,詳細は不明),当初は同じ震源域が30年間隔でひずみを解放していると考えられていた.しかし,余震分布,CMT解析,GNSSや強震動による断層すべりインバージョン解析,さらに地震発生前の地震活動の特徴や小繰り返し地震解析の結果などを総合的に判断すると,震源から南側に主な断層すべりがあると考えられる.宮崎市沖の領域で唯一判明している1996年10月と12月の震源域(Yagi et al., 1999)とはすべて重ならないようである.
今回の地震により,少なくとも1996年10月の震源域はひずみを解放していない可能性が高い.今後日向灘で最も考えられるシナリオとしては,この1996年の震源域で,今回の地震と同程度の地震が再び発生することがあげられる.1996年10月の地震の際には約12時間前からM4~5クラスの地震を伴う前震活動が見られていた特徴があり,震源がほぼ同じ1931年の地震の際にも約15時間前からM6.0の地震を含む前震活動が見られていた.1996年10月の前震活動は,震源域北側で始まり,本震震源に向かって南東方向にmigrationしながら規模も大きくなっていった.前震活動があった領域では,1997年以降M4.5以上の地震が発生しておらず,この領域の地震活動のモニタリングは今後重要になると考えている.なお,8月31日に1996年10月震源域の北側でM4.7の地震が発生した.M7.1発生以降,あまり地震活動が見られていなかった領域だが,M7.1発生以降最大の地震であり,1996年10月に前震活動が始まった場所に震源が近く,奇しくも規模も同じM4.7だった.1996年10月の事例を踏まえると前震の可能性も考えられたが,結果的に何も起こらなかった.今後,同様のケースがあった場合に,1996年10月のようにM4~5クラスの地震が続けて起こるかどうかは,事の切迫度を判断する上で注目するポイントの1つと考えられる.
1996年の地震の再来に関しては,現時点で次の発生時期を予測することは難しい.宮崎市沖では震源域が近接して発生した例として,1996年の地震が10月と12月で2ヶ月の間をあけて発生している.また,1931年の地震の2年前の1929年には,M6.9の地震がやや南西側で発生していたことが知られている.震源の深さが60km近く,周囲のプレート境界地震と比べ極端に深いが,この当時の震源決定精度の悪さを考慮すれば,この地震がプレート境界地震の可能性も否定はできず,震源域も近接している可能性は高い.過去の事例を踏まえれば,数年単位の警戒は必要とみられる.
一方,Yamashita et al. (2012) による小繰り返し地震から推定したすべりレート分布では,宮崎市~日南海岸沖にかけてすべりレートが周囲より相対的に低い領域が広がっている.すべりレートは2~3cm/yrで,プレートの沈み込み速度次第ではあるが数cm/yrのすべり遅れが生じている.周囲のすべり遅れを解消するように地震が起こっていると考えれば,発生間隔は30年よりも長いことが期待される.1996年の地震は1931年の地震と前震活動や震源位置の特徴が似ている.1961年の地震は1931年1996年よりも南側に震源があり,津波が油津港に地震発生後1分で到達したことや,宮崎県南部で被害が大きかったことが報告されており(気象庁,1961験震時報),2024年と同様に震源域が日南海岸沖に広がっていたと考えられる点でよく似ている.つまり,1931年と1996年,1961年と2024年で2つのグループがあり,おおよそ60年周期で地震が発生しているようにも見える.これは,すべり遅れから考えると60年で2m前後のすべりに相当し,M7クラスの地震としては矛盾しないとみられる.この100年の間に30年間周期で地震が起こっていたように見えていたのは,60年周期のグループが30年程度ずつたまたまずれていた結果と見ることもできるかもしれない.
ワーストケースのシナリオとしては,有史以降最大とされる1662年日向灘地震の再来である.今回の地震の震源域や,1996年の震源域周辺は,1662年日向灘地震の震源域と考えられる領域に含まれ,最近の研究成果でスロー地震との相互作用によってM7クラスの地震が巨大化したことが考えられている(Ioki et al., 2023).また,前述のすべり遅れによってバックグラウンドに蓄積されたひずみを,1662年日向灘地震のような巨大地震で解消している事も考えられる.日向灘におけるタービダイトの調査からは,火山灰との対比で1662年の地震に対応すると思われる痕跡があるとともに,およそ800年前から6500年前の間に14枚のタービダイトが確認でき,400年程度の間隔と推定されており(Ikehara et al., 2023),再来間隔に関する今後の調査研究が重要である.
今回の地震により,少なくとも1996年10月の震源域はひずみを解放していない可能性が高い.今後日向灘で最も考えられるシナリオとしては,この1996年の震源域で,今回の地震と同程度の地震が再び発生することがあげられる.1996年10月の地震の際には約12時間前からM4~5クラスの地震を伴う前震活動が見られていた特徴があり,震源がほぼ同じ1931年の地震の際にも約15時間前からM6.0の地震を含む前震活動が見られていた.1996年10月の前震活動は,震源域北側で始まり,本震震源に向かって南東方向にmigrationしながら規模も大きくなっていった.前震活動があった領域では,1997年以降M4.5以上の地震が発生しておらず,この領域の地震活動のモニタリングは今後重要になると考えている.なお,8月31日に1996年10月震源域の北側でM4.7の地震が発生した.M7.1発生以降,あまり地震活動が見られていなかった領域だが,M7.1発生以降最大の地震であり,1996年10月に前震活動が始まった場所に震源が近く,奇しくも規模も同じM4.7だった.1996年10月の事例を踏まえると前震の可能性も考えられたが,結果的に何も起こらなかった.今後,同様のケースがあった場合に,1996年10月のようにM4~5クラスの地震が続けて起こるかどうかは,事の切迫度を判断する上で注目するポイントの1つと考えられる.
1996年の地震の再来に関しては,現時点で次の発生時期を予測することは難しい.宮崎市沖では震源域が近接して発生した例として,1996年の地震が10月と12月で2ヶ月の間をあけて発生している.また,1931年の地震の2年前の1929年には,M6.9の地震がやや南西側で発生していたことが知られている.震源の深さが60km近く,周囲のプレート境界地震と比べ極端に深いが,この当時の震源決定精度の悪さを考慮すれば,この地震がプレート境界地震の可能性も否定はできず,震源域も近接している可能性は高い.過去の事例を踏まえれば,数年単位の警戒は必要とみられる.
一方,Yamashita et al. (2012) による小繰り返し地震から推定したすべりレート分布では,宮崎市~日南海岸沖にかけてすべりレートが周囲より相対的に低い領域が広がっている.すべりレートは2~3cm/yrで,プレートの沈み込み速度次第ではあるが数cm/yrのすべり遅れが生じている.周囲のすべり遅れを解消するように地震が起こっていると考えれば,発生間隔は30年よりも長いことが期待される.1996年の地震は1931年の地震と前震活動や震源位置の特徴が似ている.1961年の地震は1931年1996年よりも南側に震源があり,津波が油津港に地震発生後1分で到達したことや,宮崎県南部で被害が大きかったことが報告されており(気象庁,1961験震時報),2024年と同様に震源域が日南海岸沖に広がっていたと考えられる点でよく似ている.つまり,1931年と1996年,1961年と2024年で2つのグループがあり,おおよそ60年周期で地震が発生しているようにも見える.これは,すべり遅れから考えると60年で2m前後のすべりに相当し,M7クラスの地震としては矛盾しないとみられる.この100年の間に30年間周期で地震が起こっていたように見えていたのは,60年周期のグループが30年程度ずつたまたまずれていた結果と見ることもできるかもしれない.
ワーストケースのシナリオとしては,有史以降最大とされる1662年日向灘地震の再来である.今回の地震の震源域や,1996年の震源域周辺は,1662年日向灘地震の震源域と考えられる領域に含まれ,最近の研究成果でスロー地震との相互作用によってM7クラスの地震が巨大化したことが考えられている(Ioki et al., 2023).また,前述のすべり遅れによってバックグラウンドに蓄積されたひずみを,1662年日向灘地震のような巨大地震で解消している事も考えられる.日向灘におけるタービダイトの調査からは,火山灰との対比で1662年の地震に対応すると思われる痕跡があるとともに,およそ800年前から6500年前の間に14枚のタービダイトが確認でき,400年程度の間隔と推定されており(Ikehara et al., 2023),再来間隔に関する今後の調査研究が重要である.