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[G5-O-5] 北部フォッサ・マグナ北西部の隆起帯に認められる地溝状構造
キーワード:北部フォッサ・マグナ、隆起、地溝状構造、大峰帯
北部フォッサ・マグナ地域北西端に位置する長野県北西部から新潟県西部は,西頸城隆起帯と呼ばれる(正谷・市村,1970).この隆起帯には約1 MaのジルコンFT年代値を示す雨飾山(1963 m)などの貫入岩体があり,前期更新世以降の急激な隆起が想定される(長森ほか,2010).西頸城隆起帯の南側にも高妻山(2353 m)などの貫入岩体があり,そのジルコンFT年代は約1 Maの値を示す(長森ほか,2003)ため,西頸城隆起帯と同時期に隆起した可能性が高い.このことから,従来西頸城隆起帯が隆起量の多い地域とされてきたが,その南側も同様の隆起が生じていることになる.第四紀の隆起が想起されるものの,時期や範囲などについては不明な点が多い.本報告では,長野県小谷村の糸魚川–静岡構造線相当断層沿いの地質・構造を検討する過程で認められた隆起帯に挟まれた地溝状構造について報告する.
小谷村付近では,糸静線の東側に姫川断層,さらに東側に小谷–中山断層が併走する.姫川断層の変位センスは東側に分布する火山岩類の対比の違いにより東上がりの見解と西上がりの見解があった.この火山岩の平倉山山頂付近の安山岩(平倉山層)のK-Ar年代値として18.1±0.3 Maの年代値が得られたことにより,姫川断層の変位センスは西上がりであることが判明した.また,従来中土断層とされていた断層は姫川断層へ連続する同一の断層と判断される.姫川断層の南端は糸静線に収斂するとみられる.姫川断層と小谷–中山断層は南部域では糸静線と縦走して南北方向に延びるが,小谷村の立山付近から北東方向へ延び,糸静線から離脱する.
姫川断層と小谷–中山断層の間の層序は,下位より小谷温泉層,雨中層,奉納層,曲師谷層,細貝層,岩戸山層に区分される.北部フォッサ・マグナ地域では一般的に北方に新しい地層が累重するが,これらの地層は南に向かい新しい地層が重なる.姫川断層と小谷–中山断層間では,断層間の地層が断層を介して古い地層と隣接するため,地溝状の構造と判断される.ところで,南方の長野県大町市付近では,糸静線と小谷–中山断層に挟まれる地溝状堆積盆として特徴付けられる大峰帯(小坂, 1980)が分布する.大峰帯の北端は立山南方の“横根沢断層”とされていた.しかし,“横根沢断層”の存在を示唆する証拠はない.さらに立山以北にも大峰帯と同様の地溝状構造が連続することから,姫川断層と小谷–中山断層間の相対的に沈下した地域は,大峰帯の北方延長と判断される.ただし,地溝状構造は大町付近では糸静線と小谷–中山断層の間に分布するが,大町よりも北では姫川断層と小谷–中山断層,さらに立山付近以北では延びの方向が北東となり糸静線から離脱する.この大峰帯から連続する地溝状構造は,北西側の西頸城隆起帯と南東側の高妻山を含む地域の境界となる.
糸静線を境に西側の飛騨山地は前期更新世に隆起したとされる(原山ほか2003).しかし,立山以北の糸静線は断層によって寸断されており,第四紀に活動した形跡はない(長森ほか,2010).このため,糸静線最北部では西頸城隆起帯と飛騨山地が一体となって隆起した可能性が高い.これらの隆起域の縁辺は最北部をのぞく糸静線と姫川断層となる.大峰帯の東端断層の小谷–中山断層は東から西へ高角衝上し,後期中新世から前期更新世まで活動していた(加藤・佐藤,1983など).断層の東側には1Maの高妻山の貫入岩体があり,前期更新世の大きな隆起量が想定される.
これまで北部糸静線沿いの一部に認められていた大峰帯の北方延長が,北部フォッサ・マグナ地域北西部の隆起域を分断するように延びていることが明らかとなった.大峰帯の成因はいまだ確定していないが,より広範囲のテクトニクスを考慮にいれた検討が必要となる.
<文献>
加藤・佐藤(1983)信濃池田図幅,地質調査所,93 p.
原山ほか(2003)第四紀研究,42, 127-140.
小坂(1980)信大理紀要, 15, 31-36.
正谷・市村(1970)石油技術協会誌, 38, 1-12.
長森ほか(2003)戸隠図幅.産総研地質調査総合センター, 109 p.
長森ほか(2010) 小滝図幅.産総研地質調査総合センター, 134 p.
小谷村付近では,糸静線の東側に姫川断層,さらに東側に小谷–中山断層が併走する.姫川断層の変位センスは東側に分布する火山岩類の対比の違いにより東上がりの見解と西上がりの見解があった.この火山岩の平倉山山頂付近の安山岩(平倉山層)のK-Ar年代値として18.1±0.3 Maの年代値が得られたことにより,姫川断層の変位センスは西上がりであることが判明した.また,従来中土断層とされていた断層は姫川断層へ連続する同一の断層と判断される.姫川断層の南端は糸静線に収斂するとみられる.姫川断層と小谷–中山断層は南部域では糸静線と縦走して南北方向に延びるが,小谷村の立山付近から北東方向へ延び,糸静線から離脱する.
姫川断層と小谷–中山断層の間の層序は,下位より小谷温泉層,雨中層,奉納層,曲師谷層,細貝層,岩戸山層に区分される.北部フォッサ・マグナ地域では一般的に北方に新しい地層が累重するが,これらの地層は南に向かい新しい地層が重なる.姫川断層と小谷–中山断層間では,断層間の地層が断層を介して古い地層と隣接するため,地溝状の構造と判断される.ところで,南方の長野県大町市付近では,糸静線と小谷–中山断層に挟まれる地溝状堆積盆として特徴付けられる大峰帯(小坂, 1980)が分布する.大峰帯の北端は立山南方の“横根沢断層”とされていた.しかし,“横根沢断層”の存在を示唆する証拠はない.さらに立山以北にも大峰帯と同様の地溝状構造が連続することから,姫川断層と小谷–中山断層間の相対的に沈下した地域は,大峰帯の北方延長と判断される.ただし,地溝状構造は大町付近では糸静線と小谷–中山断層の間に分布するが,大町よりも北では姫川断層と小谷–中山断層,さらに立山付近以北では延びの方向が北東となり糸静線から離脱する.この大峰帯から連続する地溝状構造は,北西側の西頸城隆起帯と南東側の高妻山を含む地域の境界となる.
糸静線を境に西側の飛騨山地は前期更新世に隆起したとされる(原山ほか2003).しかし,立山以北の糸静線は断層によって寸断されており,第四紀に活動した形跡はない(長森ほか,2010).このため,糸静線最北部では西頸城隆起帯と飛騨山地が一体となって隆起した可能性が高い.これらの隆起域の縁辺は最北部をのぞく糸静線と姫川断層となる.大峰帯の東端断層の小谷–中山断層は東から西へ高角衝上し,後期中新世から前期更新世まで活動していた(加藤・佐藤,1983など).断層の東側には1Maの高妻山の貫入岩体があり,前期更新世の大きな隆起量が想定される.
これまで北部糸静線沿いの一部に認められていた大峰帯の北方延長が,北部フォッサ・マグナ地域北西部の隆起域を分断するように延びていることが明らかとなった.大峰帯の成因はいまだ確定していないが,より広範囲のテクトニクスを考慮にいれた検討が必要となる.
<文献>
加藤・佐藤(1983)信濃池田図幅,地質調査所,93 p.
原山ほか(2003)第四紀研究,42, 127-140.
小坂(1980)信大理紀要, 15, 31-36.
正谷・市村(1970)石油技術協会誌, 38, 1-12.
長森ほか(2003)戸隠図幅.産総研地質調査総合センター, 109 p.
長森ほか(2010) 小滝図幅.産総研地質調査総合センター, 134 p.