日本地質学会第130年学術大会

講演情報

セッション口頭発表

G-4. ジェネラル サブセッション地学教育・地学史

[2oral411-14] G-4. ジェネラル サブセッション地学教育・地学史

2023年9月18日(月) 15:00 〜 16:00 口頭第4会場 (共北25:吉田南総合館北棟)

座長:矢島 道子(東京都立大学)、川村 教一(兵庫県立大学大学院地域資源マネジメント研究科)

15:30 〜 15:45

[G4-O-3] 明治時代におけるbasaltの和名定着の過程

【ハイライト講演】

*川村 教一1 (1. 兵庫県立大学大学院地域資源マネジメント研究科)

世話人よりハイライトの紹介:basaltと呼ばれていた岩石に玄武岩の和名をあてたのは,小藤文次郎で,明治17年8月発行の『金石学 一名鉱物学』(小藤,1884)が初出である.ただしこの本に命名理由は記されていない.玄武洞との関係および玄武岩の名前の定着について調査結果を報告する.※ハイライトとは

キーワード:地学史、玄武岩、玄武洞、小藤文次郎、明治時代

兵庫県豊岡市赤石には,国の天然記念物「玄武洞」があり,玄武洞に見られる岩石は玄武岩である.玄武岩は中学校1年生の理科で必ず学ぶ火山岩で,我が国ではもっとも親しまれている岩石の名前の一つであろう.ヨーロッパでbasaltと呼ばれていた岩石に玄武岩の和名をあてたのは,小藤文次郎博士(以下,小藤博士)で,明治17年8月発行の『金石学 一名鉱物学』(小藤,1884)が初出である.ただしこの本に命名理由は記されていない.明治19年発行の「東洋学芸雑誌」第3巻58号掲載の小藤博士の講演記録において,「但馬ノ玄武洞ニアル玄武岩バサルト」と記されている(小藤,1886).小藤博士以外では,明治21年に西山正吾は「小藤氏『バサルト』ニ譯名ヲ下スニ著名ナルコノ洞ヲ採リシカ」と命名理由について触れている(西山,1888).明治24年にも,巨智部忠承が玄武岩は小藤博士が玄武洞の字を取って玄武岩を命名した旨を述べている(巨智部,1891).これらのことから,小藤博士が玄武洞にちなんで玄武岩を命名したことが推察される.問題は,小藤博士は明治17年までに玄武洞において地質調査をした記録は知られておらず,和名選定にあたり小藤博士は玄武洞の岩石がbasaltであることをどのようにして知ったのかにある.玄武洞の岩石が小藤博士の目に触れなければ,basaltの和名は別の名称が定着していたかもしれない. 以上のことを踏まえ,本発表では玄武洞の命名に関する現状の知見を整理して今後の研究のための基礎資料とする.また,我が国における近代的な岩石学の普及のもと,basaltの和名の命名状況を整理するとともに,玄武岩と命名された後,この和名が定着するようになった経緯について若干の推論を試みる.

文献
巨智部忠承(1891)但馬名所玄武洞の記.地学雑誌,3,194-200.
小藤文次郎(1884)金石学 一名鉱物学.小藤文次郎,163p.
小藤文次郎(1886)地文學講義四回.東洋學藝雑誌,第3巻,第58号,589-599.
西山正吾(1888)敦賀姫路間地質報告.地質要報,明治二十一年第3号,249-251.