[PB25] 発問場面における生徒の行為主体性のエスノメソドロジー的検討
キーワード:主体性, ラベリング, 会話分析
問題と目的
文部科学省(2017)が次期中学校学習指導要領にて「主体的に学習に取り組む態度を養い,個性を生かし多様な人々との協同を促す教育の充実に努めること」と述べている通り,学校教育には生徒の主体的態度を養うことを求められている。
ここで主体性とは何かという問いが浮かぶ。浅海(2001)は実際に活動を担う「主体」が「他と関わっていく中で現れてくる,性質としての属性」と主体性を定義した。一方で,青山(2012)や有元・岡部(2013)の行為主体性や,ラベリング論(Coulon,1996 山田・水川訳 1996)のように,主体性を個体の属性ではなく関係性の効果として捉える観点も存在する。これら諸研究は教室のような集団における主体性を捉え直す新たな視座を供する可能性がある。
そこで,本研究では生徒の主体性を社会文化的状況の効果と捉える立場から,教師の発問場面と生徒の応答行為という場面に着目し,授業内において生徒の主体性が社会的に構成されるプロセスを検討することを目的とした。
方 法
2016年10月に関東圏内の公立中学校3年生1学級35名へ行われた授業を対象に観察を行った。
教室の左前方にビデオカメラを設置して得られた映像及び音声データを用いて,エスノメソドロジー的会話分析を行った。なお,得られた情報は細心の注意をもって扱った。
結果と考察
本研究で対象とした生徒(以下,生徒Xと表記)の行為は,手で顔を覆いながら俯いた状態を維持するというものであった。生徒Xが発問場面で顔を伏せていたことは,解答者を指名する状況の中で生じた反応であることから判断して,解答者に指名されることを回避する行動として観察が可能であった(Figure 1)。
次に,教員が学級に発問を行った後に4秒程度の沈黙が生じ,生徒Xは顔を上げて周囲を見渡した。また次に,この後,教員が解答者の指名を行った直後に生徒Xが再び顔を伏せた。以上の行為の連鎖から,生徒Xの行為は授業文脈に呼応した行為として構成されていたと観察可能であった。
以上のことから,「人物Aが行為Xをしている」とみなされるラベリングは単なる主観による産物ではありえず,その場にいるだれもが観察可能な事態であるということができるだろう。生徒が指名を回避するような主体性は教員の授業デザインとセットになって観察可能となるが,このことは教員の授業デザイン次第で生徒の主体性の様相が変動しうることを示唆するものであると推察される(Figure 2)。
文部科学省(2017)が次期中学校学習指導要領にて「主体的に学習に取り組む態度を養い,個性を生かし多様な人々との協同を促す教育の充実に努めること」と述べている通り,学校教育には生徒の主体的態度を養うことを求められている。
ここで主体性とは何かという問いが浮かぶ。浅海(2001)は実際に活動を担う「主体」が「他と関わっていく中で現れてくる,性質としての属性」と主体性を定義した。一方で,青山(2012)や有元・岡部(2013)の行為主体性や,ラベリング論(Coulon,1996 山田・水川訳 1996)のように,主体性を個体の属性ではなく関係性の効果として捉える観点も存在する。これら諸研究は教室のような集団における主体性を捉え直す新たな視座を供する可能性がある。
そこで,本研究では生徒の主体性を社会文化的状況の効果と捉える立場から,教師の発問場面と生徒の応答行為という場面に着目し,授業内において生徒の主体性が社会的に構成されるプロセスを検討することを目的とした。
方 法
2016年10月に関東圏内の公立中学校3年生1学級35名へ行われた授業を対象に観察を行った。
教室の左前方にビデオカメラを設置して得られた映像及び音声データを用いて,エスノメソドロジー的会話分析を行った。なお,得られた情報は細心の注意をもって扱った。
結果と考察
本研究で対象とした生徒(以下,生徒Xと表記)の行為は,手で顔を覆いながら俯いた状態を維持するというものであった。生徒Xが発問場面で顔を伏せていたことは,解答者を指名する状況の中で生じた反応であることから判断して,解答者に指名されることを回避する行動として観察が可能であった(Figure 1)。
次に,教員が学級に発問を行った後に4秒程度の沈黙が生じ,生徒Xは顔を上げて周囲を見渡した。また次に,この後,教員が解答者の指名を行った直後に生徒Xが再び顔を伏せた。以上の行為の連鎖から,生徒Xの行為は授業文脈に呼応した行為として構成されていたと観察可能であった。
以上のことから,「人物Aが行為Xをしている」とみなされるラベリングは単なる主観による産物ではありえず,その場にいるだれもが観察可能な事態であるということができるだろう。生徒が指名を回避するような主体性は教員の授業デザインとセットになって観察可能となるが,このことは教員の授業デザイン次第で生徒の主体性の様相が変動しうることを示唆するものであると推察される(Figure 2)。