日本教育心理学会第60回総会

講演情報

ポスター発表

[PH] ポスター発表 PH(01-73)

2018年9月17日(月) 13:00 〜 15:00 D203 (独立館 2階)

在席責任時間 奇数番号13:00~14:00 偶数番号14:00~15:00

[PH06] 口止めの有無が仲間の違反の報告に対する児童の認識に与える影響の検討

楯誠 (名古屋経済大学)

キーワード:真実の報告, 口止め, 善悪判断

問題と目的
 本研究は,違反をしたクラスメイトを教師に告げること(tattling,告げ口)に対する,児童の認識を検討するものである。子どもを対象とした他者の違反の報告行動(目撃証言など)に関する研究において,口止めがしばしば実験手続きに含まれている。一方,口止めの要因(有無)が,仲間の違反の報告に対する子どもの認識に与える影響に関しては,これまで十分な検討が行われていない。本研究では,この点を明らかにする。

方  法
調査対象 公立小学校に通う6年生63名(平均年齢11.83歳,男子25名,女子38名)が対象となった。
調査内容 クラスメイト(仲間)の違反(図書室の本を破る,廊下のポスターを破る)を目撃した主人公が,その後教師から誰が違反をしたかを尋ねられるストーリーが課題として用いられた。ストーリー課題は,違反をしたクラスメイトが主人公に気づいて口止めをする(「先生に言っちゃだめだよ」)口止めあり条件と,主人公に気づかず口止めしない口止めなし条件の,2条件が被験者内要因で設定された。
質問内容 (1)違反報告の予測質問 主人公が教師に違反をした仲間を報告するか否かを「言うと思う」「言わないと思う」の2つの選択肢で尋ねた。(2)違反報告の選択・決定質問 「もしあなたが主人公だったら」という形式で,仲間のことを教師に報告するか否かを尋ねた。回答形式は,違反報告の予測質問と同様であった。(3)善悪判断質問 主人公が教師に仲間のことを報告した場合としなかった場合について,それぞれの善悪の判断をさせた。「とても悪い」から「とても良い」の7件法で回答させた。
調査手続き 質問紙による仮想場面実験が行われた。教師を介して質問紙の配布及び回収が行われた。質問紙は,対象となる児童の性別(男女),違反内容(本,ポスター)と口止め条件の組み合わせ,善悪判断質問の順序を考慮し,計8パターン作成された。 

結  果
違反報告の予測 回答の集計の結果,主人公が報告することを予測した者は口止めなし条件では51名(81.0%),口止めあり条件では35名(55.6%)であった。口止めの要因の条件間による回答を比較するためにMcNemar検定を行ったところ,有意差が認められた(p<.01,両側検定)。口止めなし条件と比較して,口止めあり条件において主人公は「言うと思う」と回答する者の比率が低いことが明らかになった。
違反報告の選択・決定 自分が主人公であったら,仲間の違反を報告すると回答した者は,口止めなし条件では42名(66.7%),口止めあり条件では34名(54.0%)であった。McNemar検定の結果,有意差があった(p<.05,両側検定)。違反報告の予測と同様に,口止めなし条件に比べて口止めあり条件で,自分ならば違反をした仲間を教師に「言うと思う」と回答する者の比率が低いことが示された。
善悪判断 善悪判断質問の7件法による評定結果を-3から+3に得点化し,口止め(口止めなし,口止めあり)×報告(報告,未報告)の被験者内計画による2要因分散分析を行った。その結果,報告の主効果(F(1,62)=59.79,p<.01)および交互作用(F(1,62)=4.71,p<.05)が有意であった。交互作用の下位検定を行ったところ,報告の要因の単純主効果は,口止めの要因の両条件において1%水準で有意であった。口止めの有無にかかわらず,仲間の違反の報告は未報告よりも平均値が高く,より良いと見なされていた。一方,口止めの要因の単純主効果は,報告条件において5%水準で有意であった。口止めをされたのちに仲間の違反を報告することは,口止めされずに報告すること比べ平均値が低く,より「良くない」と判断されていた。

考  察
 主人公の報告の予測,および調査対象の児童による報告の選択・決定の両方において,口止めの条件による差が認められた。違反をした仲間から口止めをされた場合,そうでない場合と比べて教師への報告は抑制されると児童は認識していた。また,口止めの有無は仲間の違反の報告に対する善悪判断にも影響を与えていた。口止めをされた状態で教師に違反を報告することは,そうでない状態で報告することよりも,ネガティブに児童は評価した。この理由として,児童は口止めを1つの約束とみなしている可能性が考えられる。口止めをされたにも拘らず教師に報告することは,約束を破る「良くない」行為であり,避けるべきであると児童は認識しているのかもしれない。