11:30 〜 12:00
[T8-O-9] [招待講演]応力解析史
【ハイライト講演】
世話人よりハイライトの紹介:多重逆解法(Multiple inverse method)の開発者であり,理論テクトニクス入門(朝倉書店)でお馴染みの山路さんから応力逆解析手法の歴史を振り返っていただきます.応力逆解析の「いろは」から今後の将来展望まで一挙に触れることができるビッグチャンス,これを機会に応力逆解析の世界へどうぞ! ※ハイライトとは
キーワード:応力逆解析、古応力、応力場、鉱脈
岩脈や鉱脈などの裂罅(dilational fracture)や断層などの地質構造を観察して,それらができた時の応力状態を実証的に推定する技法が応力解析である.
応力解析の開祖はAnderson [1–3]ということになっている.確かに彼の教科書には地質図規模の数条の断層から推定した応力軌跡図が一つだけ掲げられている.この図は差し渡し数百kmのほぼ一様な応力場が存在したことを示唆し,また,既知の断層達の活動が応力概念で説明できることを示した.しかし1942年の教科書は,ほとんど影響力をもたなかった.1950年になっても平行岩脈群を応力の現れとしない論文が出ていた[4].
応力概念を含め連続体力学は20世紀を待たず地質学に導入されていたが[5],応力解析にとって20世紀前半は空白期だった.その間に進められたのは.応力概念を援用した地質構造形成の説明または理解である.すなわち正・逆・横ずれ断層を説明[1],裂罅形成の説明[6],環状岩脈を説明などである[2].岩脈群の放射状・平行状遷移についてのOdé論文もこの系列である[7].
応力解析の研究に火をつけたのは,戦後復興のための世界的な資源需要だったのではないか.地下構造について表層で得られる情報はいつも断片的で資源探査に不十分である.構造形成の力学を理解することで,それを補うことができるだろうというビジョンが1950年代に広まったのである[8–11].その実現のため,岩石物性の研究も進んだ.のちには防災や地層処分からの需要も生まれた.断層の共役性を積極的に使うことを説いたGzovsky [12]と,1942年版とほぼ同じ内容のAndersonの1951年の本が,応力解析の研究を始動させた.先行したのはソ連と日本だった.Stevens-Anderson流「岩脈法」による研究は若干あったが[14],70年代半ばに逆解法が導入[13]される頃まで,西欧や米国での応力研究は不活発だっいた.応力解析の方法論的研究が進んだのは70年代末からである.
しかし,具体的地質体を相手にしたテクトニクスの力学の建設が難しいこと,このことがしだいに理解されるようになった.仮想的物体であれば,数値実験や室内実験により,その振る舞いを今や定量的に論ずることができる.しかし,観測の不完全性を補うものにはなっていない.テクトニクスは非線形性の高い一種の不安定現象であり,観測にかからない小さな亀裂や不均一が,現象の運命に決定的に効くからである.個別具体的な地質体の構成や振る舞いを予言するには,決定的な情報が不足している.地質図規模の具体的地質構造の形成を理解したいという,20世紀の地質学の夢は実現していない.
他方では最近40年ほどのあいだに応力解析の方法論的な研究は進み[15–17],利用できる構造も今や断層・裂罅のほか双晶など多様である.過去の応力場を実証的に明らかにする手段が豊富に提供されるようになったからこそ,それらを利用して,ふたたび地質図規模の構造形成の力学建設に挑んでほしいものである.それには,応力解析だけでなく,地質図規模の4次元的な構造把握にくわえ,系のごく一部から全体の大局的振る舞いを理解する物理の発展が必要かもしれない.これらは筆者自身,望んで到達できなかったことだった.
文献 [1] Anderson, 1905, Trans Edinburgh Geol Soc 8, 387; [2] ―, 1936 Proc Roy Soc Edinburgh 56, 128; [3] ―, 1942, The Dynamics of Faulting and Dyke Formation with Application to Britain. Oliver & Royd; [4] Lister & Allen, 1950, GSA Bull. 61, 1217; [5] Becker, 1893, GSA Bull 4, 13; [6] Stevens, 1911, Bull Am Inst Min Eng 49, 1; [7] Odé, 1957, GSA Bull 68, 567; [8] Gzovsky, 1954a, Izd AN SSSR 3, 244; [9] Bederke et al., 1964, Tectonophysics 1, 1; [10] 平山, 1966, 地質雑 72, 91; [11] 藤田, 1966, 構造研会誌 1, 1; [12] Gzovsky, 1954b, Izd AN SSSR 5, 390; [13] Carey & Brunier, 1974, CR Acad Sci Paris D279, 891; [14] King, 1961, USGS Prof. Pap. 424B, 93; [15] 山路, 2001, 地質雑 107, 461; [16] ―, 2012, 地質雑 118, 335; [17] 佐藤他, 2017, 地質雑 123, 391.
応力解析の開祖はAnderson [1–3]ということになっている.確かに彼の教科書には地質図規模の数条の断層から推定した応力軌跡図が一つだけ掲げられている.この図は差し渡し数百kmのほぼ一様な応力場が存在したことを示唆し,また,既知の断層達の活動が応力概念で説明できることを示した.しかし1942年の教科書は,ほとんど影響力をもたなかった.1950年になっても平行岩脈群を応力の現れとしない論文が出ていた[4].
応力概念を含め連続体力学は20世紀を待たず地質学に導入されていたが[5],応力解析にとって20世紀前半は空白期だった.その間に進められたのは.応力概念を援用した地質構造形成の説明または理解である.すなわち正・逆・横ずれ断層を説明[1],裂罅形成の説明[6],環状岩脈を説明などである[2].岩脈群の放射状・平行状遷移についてのOdé論文もこの系列である[7].
応力解析の研究に火をつけたのは,戦後復興のための世界的な資源需要だったのではないか.地下構造について表層で得られる情報はいつも断片的で資源探査に不十分である.構造形成の力学を理解することで,それを補うことができるだろうというビジョンが1950年代に広まったのである[8–11].その実現のため,岩石物性の研究も進んだ.のちには防災や地層処分からの需要も生まれた.断層の共役性を積極的に使うことを説いたGzovsky [12]と,1942年版とほぼ同じ内容のAndersonの1951年の本が,応力解析の研究を始動させた.先行したのはソ連と日本だった.Stevens-Anderson流「岩脈法」による研究は若干あったが[14],70年代半ばに逆解法が導入[13]される頃まで,西欧や米国での応力研究は不活発だっいた.応力解析の方法論的研究が進んだのは70年代末からである.
しかし,具体的地質体を相手にしたテクトニクスの力学の建設が難しいこと,このことがしだいに理解されるようになった.仮想的物体であれば,数値実験や室内実験により,その振る舞いを今や定量的に論ずることができる.しかし,観測の不完全性を補うものにはなっていない.テクトニクスは非線形性の高い一種の不安定現象であり,観測にかからない小さな亀裂や不均一が,現象の運命に決定的に効くからである.個別具体的な地質体の構成や振る舞いを予言するには,決定的な情報が不足している.地質図規模の具体的地質構造の形成を理解したいという,20世紀の地質学の夢は実現していない.
他方では最近40年ほどのあいだに応力解析の方法論的な研究は進み[15–17],利用できる構造も今や断層・裂罅のほか双晶など多様である.過去の応力場を実証的に明らかにする手段が豊富に提供されるようになったからこそ,それらを利用して,ふたたび地質図規模の構造形成の力学建設に挑んでほしいものである.それには,応力解析だけでなく,地質図規模の4次元的な構造把握にくわえ,系のごく一部から全体の大局的振る舞いを理解する物理の発展が必要かもしれない.これらは筆者自身,望んで到達できなかったことだった.
文献 [1] Anderson, 1905, Trans Edinburgh Geol Soc 8, 387; [2] ―, 1936 Proc Roy Soc Edinburgh 56, 128; [3] ―, 1942, The Dynamics of Faulting and Dyke Formation with Application to Britain. Oliver & Royd; [4] Lister & Allen, 1950, GSA Bull. 61, 1217; [5] Becker, 1893, GSA Bull 4, 13; [6] Stevens, 1911, Bull Am Inst Min Eng 49, 1; [7] Odé, 1957, GSA Bull 68, 567; [8] Gzovsky, 1954a, Izd AN SSSR 3, 244; [9] Bederke et al., 1964, Tectonophysics 1, 1; [10] 平山, 1966, 地質雑 72, 91; [11] 藤田, 1966, 構造研会誌 1, 1; [12] Gzovsky, 1954b, Izd AN SSSR 5, 390; [13] Carey & Brunier, 1974, CR Acad Sci Paris D279, 891; [14] King, 1961, USGS Prof. Pap. 424B, 93; [15] 山路, 2001, 地質雑 107, 461; [16] ―, 2012, 地質雑 118, 335; [17] 佐藤他, 2017, 地質雑 123, 391.