日本食品科学工学会第71回大会

講演情報

シンポジウム

シンポジウムA

[SA1] シンポジウムA1

2024年8月29日(木) 14:30 〜 17:15 S1会場 (2F 201)

世話人:伊藤 圭祐(静岡県立大学)

16:10 〜 16:40

[SA1-04] 構造生物学で探る味覚受容体T1rの多彩な味物質認識

*山下 敦子1 (1. 岡山大学学術研究院医歯薬学域)

キーワード:味覚受容体、構造

    【講演者の紹介】
   山下 敦子(やました あつこ):岡山大学学術研究院医歯薬学域・教授
    略歴:1993年京都大学農学部卒,1998年京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了,博士(農学).同年理化学研究所基礎科学特別研究員,2000年同研究所研究員,この間2003〜2005年コロンビア大学博士研究員,2006年理化学研究所放射光科学総合研究センターチームリーダー,2012年より岡山大学大学院医歯薬学総合研究科教授

    私たちは,食品に含まれるさまざまな化学物質を,口腔内に存在するセンサータンパク質である味覚受容体を介して感知している.味覚では,化学物質が呈する味を,甘味・うま味・塩味・苦味・酸味の基本五味に分類して識別する.これに対応し,味覚受容体にも,それぞれの味質を呈する味物質を認識する受容体が存在する.このうち,「おいしさ」に関わる甘味やうま味の認識を担うのが,Taste receptor type 1 (T1r)である.T1rはヘテロ二量体を構成して機能し,ヒトでは,T1R1/T1R3がグルタミン酸などのうま味物質の,T1R2/T1R3がショ糖などの甘味物質の認識を担っている.T1rは脊椎動物間で保存されており,他の動物でも,ヒトの甘味受容体やうま味受容体同様,アミノ酸・核酸・糖などの認識を担うことが知られている.
    味覚受容体による味物質の認識機構を理解する上で重要な受容体構造情報は,味覚受容体の試料調製が困難なため長らく得られていなかった.T1rについては,現在でも,演者らの報告したメダカの受容体T1r2a/T1r3の味物質認識領域であるリガンド結合ドメイン(LBD)の構造しか報告されていない.演者らは,現時点で唯一ヘテロ二量体としての試料調製が報告されているこのメダカT1r2a/T1r3LBDをモデルT1rタンパク質としたT1rの構造機能研究を進めている.
    T1rは,食品中の幅広い甘味物質やうま味物質を認識するため,例えばヒト甘味受容体T1R2/T1r3が幅広い糖を,マウスのうま味受容体T1R1/T1R3が幅広いアミノ酸を認識するように,基質特異性が広い特徴を持つものが多い.メダカT1r2a/T1r3の基質特異性を解析したところ,やはりこの特徴を備えており,幅広いL-α-アミノ酸を認識することがわかった.立体構造を調べると,メダカT1r2a/T1r3LBDのアミノ酸結合部位は,アミノ酸に共通する官能基を厳密に認識し,これらの共通官能基の結合がLBDの構造変化を引き起こすのに対し,アミノ酸ごとに異なる置換基については,幅広い物理化学的性質を持つ官能基を受け入れられる構造となっていた.このようなアミノ酸結合部位の構造的特徴は,幅広いアミノ酸の結合によるLBDの構造変化と,この構造変化により起こる受容体活性化および細胞内へのシグナル伝達をよく説明するものである.さらに演者らは,このメダカT1r2a/T1r3LBD構造解析の過程で,塩化物イオンが,同タンパク質のT1r3サブユニットにおいて,アミノ酸結合部位とは異なる位置に結合していることを見出した.解析の結果,塩化物イオンは,結合によりアミノ酸と同様の構造変化をLBDにもたらし,T1rを介して味覚として感知されることを明らかにした.
    現時点では,ヒトT1Rヘテロ二量体の試料調製は達成されておらず,その構造も明らかではない.一方,メダカT1r2a/T1r3LBD構造に見られたL-α-アミノ酸認識様式や,塩化物イオン結合部位は,ヒトT1Rでも保存されていると考えられることから,メダカT1r2a/T1r3LBDの構造機能情報は,今後ヒトT1Rの機能と,これによりもたらされる「おいしさ」の理解にも重要な基盤情報となると考えられる.