日本地震学会2020年度秋季大会

Presentation information

Poster session (Oct. 30th)

Regular session » S10. Active faults and historical earthquakes

S10P

Fri. Oct 30, 2020 4:00 PM - 5:30 PM ROOM P

4:00 PM - 5:30 PM

[S10P-08] Evaluation of the 1707 Hoei earthquake tsunami observed in Nagasaki Port.

〇Makoto NEMOTO1 (1.OYO Corporation)

1707年宝永地震では、当時の長崎港で津波が観測され、複数の歴史史料に記録が残されている(例えば、都司ほか, 2014)。歴史史料「日新記」によれば、地震から3時間後に潮位の変化があり、7~8時間後に最高水位に達して、沿岸の道路や蔵が浸水している。
 本研究では、1707年宝永地震における長崎港の津波の再現計算を行い、歴史史料の記録と比較を行った。断層モデルは、Furumura et al. (2011)のモデルを用い、東北大学の津波計算コード「TUNAMI」を用いて津波シミュレーションを実施した。なお、長崎港の地形状況は1707年宝永地震当時と現在では大きく異なっているため、計算に用いる地形データは旧版海図や1700年頃の推定海岸位置の資料に基づき設定した。津波シミュレーションの結果、歴史史料の記述内容を良く説明する津波の時系列波形を得ることが出来た(図1)。津波シミュレーションで最も水位が高くなるのは地震発生から約7時間後だが、この時間がちょうど満潮に重なっており、最高水位はT.P.+2.3m程度と推定される。一方、都司ほか(2014)は蔵への浸水が生じた長崎港新地(1702年に築造された埋め立て地)の地盤高を現地測量に基づき2.6m、浸水高を3.1mと推定しており、本計算で得られた最高水位T.P.+2.3mはそれよりも低い。しかし、地盤標高は近代の埋め立てにより変化しており、長崎市埋蔵文化財調査協議会(1996)の発掘調査では、新地築造当初の遺構と推定される蔵の敷石の標高はおおよそT.P.+2.0mと測量されている。そのため、今回の計算で得られた最高水位T.P.+2.3mは、歴史史料に記載されている蔵への浸水と矛盾せず、妥当と考えられる。
 ところで、近世以降の南海トラフの巨大地震としては、1707年宝永地震の他に1854年安政南海地震、1946年昭和南海地震が発生しているが、両地震では長崎港での津波は報告されていない。この理由を確認するため、長崎に大きな津波をもたらす波源の分析を行った。具体的には、南海トラフに長さ100km、幅50kmの矩形上の津波波源を網羅的に設定して、津波シミュレーションを行い、長崎港における最高水位を比較した。その結果、豊後水道南の日向灘沖に波源が位置する場合に、長崎港で津波が特に大きくなることが分かった。Furumura et al. (2011)は、大分県佐伯市龍神池の津波堆積物に基づいて1707年宝永地震の波源が日向灘沖まで達していることを示しているが、本分析の結果はこれと調和的である。